私たちのごみはどうなる?
(仮称)志木環境センター建設計画は凍結されたが
 志木地区衛生組合(志木市・新座市・富士見市によるごみの焼却、最終処分に係わる事務を共同処理するための一部事務組合)が、2002年稼働に向けて下宗岡地区に計画していた(仮称)志木環境センターは、長沼明志木地区衛生組合議員の申し入れを受けて、5月22日の正副管理者会議を経て正式に「凍結」されることが決まり、新座環境センター東工場の恒久対策工事を行うことにより今後10年〜15年延命をはかることとなりました。
 1998年1月の調査でダイオキシン類が66ng(排ガス1立方メートルあたり)も検出されている新座環境センター東工場については、1979年から稼働し老朽化が著しいこともあり、志木環境センター完成を機に廃止する予定でした。
 しかしながら、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」及び「大気汚染防止法の改正(1997年12月1日)」により、2002年12月1日までに既設炉のダイオキシン類排出基準を5ng以下(新設炉については0.1ng以下)にしなければならなくなったことに伴い、そのための恒久対策工事に国庫補助金がつくようになる等、状況が変わってきたのです。
(仮称)志木環境センター用地、後方は宗岡二中
(新宮戸橋下流の新河岸川堤防より、2002年8月)


なぜ(仮称)志木環境センターが計画されたのか
 凍結についての意志決定を説明するための住民説明会(7月23日朝霞市宮戸市民センター、7月24日宗岡6区区民会館)では、凍結では善しとせず、計画そのものの白紙撤回を求める意見が相次ぎ、用地の適正管理のための埋め立てにも反対する意見が多く出されました。
 私は凍結になったことにより、下宗岡地区が今後10〜15年間、問題を抱え続けていかなければならないことに対し、まちづくりという観点から大変な危機感をもちました。
 そして、地域の方々の素朴な不安や、決まってから住民に説明するという行政の姿勢に対する不信感を重く受け止め、(仮称)志木環境センター建設計画に至る経緯を改めて調査しました。
経 緯
 富士見環境センター(1986年稼働)は、近隣住民との約束で、建て替えについては認められない。
 新座環境センターも、西工場(1994年稼働)の計画段階で、用地の拡張については近隣住民の反対で認められず、「新座の東工場の建て替え分は志木で」という当時の新座市長の意向により、1991年、志木地区衛生組合としての意志決定がなされました。
用 地
 市街化区域を避け、宅地を最大限避けても、荒川堤外(河川敷)以外に市街化調整区域を殆ど持たない志木市が約2万uのまとまった用地を確保するには、結果的に市街化調整区域の水田であった現計画地しかなく、平成5年、地権者に対する説明会から用地買収に入り、平成8年3月まで約24億円かけて取得されました。
処理方法
 焼却灰や飛灰(集塵灰)をそのまま排出し、最終処分場(98年度は三重県上野市・寄居町の埼玉県環境整備センター)に運搬するという従来の方法でなく、減容化さらにスラグ、メタル等にして資源として再利用する直接熔融炉方式が組合としては望ましいとされてきました。
住民参加型の計画づくりに対応し得る行政に
 武蔵野市では、16〜17年前にごみ焼却場建設について都市計画決定に向けて住民説明会をしたところ、近隣住民の反対があり、他の地域の人たちは賛成しました。
 そこで、委員長に学識経験者を、各地域から代表を呼び、100回近く議論を重ね、幾つかの案について比較検討表が出されました。
 結果はもとの案に戻ったそうですが、民主的な妥協のプロセスにより、合意が生まれました。
 用地取得後いよいよ建設という時点で都市計画決定に向けて住民説明会をし、理解を求めるという従来型では、行政に対する不信感と住民同志の亀裂を生むだけです。
 この試練を乗り越えるのに必要なのは、構成3市の行政・議員・全ての市民が、人任せでなく自らの間題として認識することなのです。
 新座環境センター東工場のダイオキシン類恒久対策工事は、未だその規模も未定、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」改正に伴い、条例制定をし生活環境アセスメントを実施しなければならない等、住民の理解を得られるかどうかも不確定です。
 現在の志木地区衛生組合は、実質13名の職員体制で、特別地方公共団体としての条例制定、組合議会、予算から事業執行、新座・富士見環境センターの安全管理からびん・缶・ペットボトル等の中間処理、灰や残渣の最終処分に至る責任、現在は富士見環境センターのダイオキシン類恒久対策工事を実施しながら新座環境センターダイオキシン類恒久対策の準備をしていかなければなりません。
 職員体制の充実と共に、管理職が県や構成市からの2〜3年交替という現状を改善し、構成市との連携を強め、継続的に住民の信頼を得られる行政にすることが重要です。
 9月議会では、構成市の議員という立場から、以上を含む指摘と提案を行いました。調査の過程で、組合と市職員の認識がくい違っている部分を見出したり、行政の認識の甘さ、行政と住民の間の溝を直視することにより、組合職員も市職員も切瑳琢磨し、危機感をもって共に考え協力する気運が生まれたような気がします。
 この間、貴重なご意見ご指摘をいただきました沢山の市民・行政の方々に、心より感謝申し上げます。
用地の今後について
 去る10月9日の志木地区衛生組合議会では、用地については土を搬入して埋め立てることは行わない。年度内に住民説明会を開いて説明の後、用地の適性管理ができるよう整地のみを行う方針が明らかになりました。
 水害の常襲地でもあり、凍結になった以上、雨水の貯留・遊水機能の確保を求める住民の皆さんの要望が、結果的に反映されました。
3市でトップ、増え続ける志木のごみ減量化と分別の徹底を
1997年度  志木地区衛生組合に搬入された1人1日当たりのごみ量
志木市 867g    新座市 828g    富士見市 813g
 構成3市全体では前年度比2.19%増、志木市は0.56%増で努力の効果は現れているものの、過去10年あまり志木市のごみ量はトップです。
 志木地区衛生組合が1997年3月に策定した一般廃棄物処理基本計画では、2012年度までごみ量を毎年1%ずつ削減することとされています。
 1999年4月からのごみ袋の透明・白色半透明化完全実施に向け、分別のみならず一層の減量化を推進しましょう。
これでいいのかニュータウンのごみステーション
 5月19日、ごみ収集車の体験乗車をしました。
 柏町地区の可燃ごみ収集を作業員と共に行いましたが、持ち上がらないほど重い袋を開けてみると、水切りされていない生ごみが入っていました。戸建て住宅のごみステーションは整然と排出されているのに比べ、集合住宅の収集ボックスの中はぐちゃぐちゃ、汁や臭いも気になります。
 そこで目に付くのは、我が志木ニュータウンのごみステーション。新座団地は入居当初から収集日以外は出せないそうですが、ニュータウンは常時OKです。ボックスからはみ出たごみ袋をネコが散らかし、カラスがくわえて斜面林に運ぶ。これでは、「斜面林の保全を」どころではありません。これで本当に文化的な生活といえるのでしょうか?
 他の地域では、隣近所数軒でごみステーションを当番制で管理していますが、ニュータウンでは管理組合との委託契約で、清掃作業員の方々が私たちの後始末をしているのが実態です。さらに、ニュータウンの一部街区では、入居当初から可燃ごみ収集週2回だけでは足りず、いまだに週3回収集車が廻っているそうです。(2000年度より週2回に適正化される)
これだけは守ろう ゴーストタウンにしないために
1.古布は古紙回収時に出す途上国に輸出、ボロ布もウエス(機械用)となり、100%利用されます。実際に見学してきました。
〔×〕ボックスに入れると収集車にからまり壊します
2.古本も古紙回収に
〔×〕ボックスに入れると志木市のごみ量を押し上げます
3.箱やダンボール類はたたんで束ね、回収日に出す
〔×〕古紙類は雨に濡れるとカビが生えるので全てごみになり、さらにごみ量増につながります
4.コンテナボックスは空いている所につめて入れ、はみ出さないようにしよう
5.びんは必ず洗い、ふたはとって分別を富士見環境センターで全て手作業で選別されています
〔×〕ポリ袋に入れたまま出さないで!
6.スプレー缶は穴を空けて出すなど、危険物は作業員の安全を考えて
7.傘は布を外して不燃ごみへ布をすてきな袋に再生するのは東の森壱番街の金川世季子さん(広報しき98年10月号に紹介)つくり方をききたい方は476-5056金川さんへ
 富士見環境センターの焼却炉の定期点検時、炉の中に入らせてもらいました。壁面にはアルミ缶が溶けてつらら状になっており、1997年度の富士見環境センターの焼却炉補修費は1億4600万円でした。
 缶たった1つの無分別や投げ捨てが、私たちの貴重な税を浪費し、教育や福祉のための費用を圧迫し、子どもたちに残す環境と資源を食いつぶすことになるのです。
 皆で「一人分の責任」を果たせる地域社会をつくりましょう。
(1998年11月)

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