富士見市の農薬空中散布全廃県内でも全面見直しへ
 2003年11月27日付けで、富士見市長から志木市長宛に、「農薬空中散布は、水稲の基幹防除手段として、永年にわたり実施してきたが、環境や人体への影響などが憂慮される航空防除について見直すべく協議を重ね、2004年度からは実施しないことになりました。」との文書通知がありました。
 これは、天田いづみの要請に応え、1996年、県がラジコンヘリコプター(無人ヘリ)による空中散布では全国で初めて行政として行なった飛散調査結果に基づき、1997年より志木市長が富士見市長に対し毎年提出し続けてきた「農薬の空中散布に伴う飛散防止について」の要望書に応えたものです。
1996年7月30日飛散調査結果より      分析:埼玉県農業試験場
モンセレンフロアブル、トレボンエア、スミチオン乳剤のうちスミチオンを分析
中野児童遊園地 164μg/u
志木中学校 96μg/u

富士見橋付近

31μg/u
サミット付近 5μg/u
ニュータウン中央の森参番街 11μg/u
μg:100万分の1グラム
 富士見市の農業振興課長によれば、苗の段階で、3ヶ月位効果が持続する薬剤を使用する「箱施」に切り替えるとのこと。
 天田は1994年に水谷耕地での大型ヘリ、ラジコンヘリによる空中散布の問題点を指摘して富士見市に要望書提出、飛散調査も行い、大型ヘリでの空中散布は中止されましたが、南畑(宗岡に隣接)等では継続、柳瀬川対岸ではラジコンヘリで続けられてきたのです。

1994年8月25日飛散調査より     分析:横浜国立大学環境科学センター
ラジコンヘリによる散布農薬のうちフサライドを分析

サミット付近土手 33μg/u
柳瀬川駅 26μg/u
富士見橋志木側 6μg/u
◆県方針により県内全廃へ
 富士見市の決定は、県農林部「航空防除に代わる防除方法への切替方針」(2003.7.15)を受けたものです。方針では、「2004年度以降、原則として航空防除を他の防除方法へ切り替えるものとする。」とされており、県農産物安全課によれば、5実施団体全て空中散布は実施しない見通しとのことです。
◆減農薬へのとりくみ
 1992年東京都朝霞浄水場の水道水から、志木市荒川堤外(河川敷)での空中散布農薬が検出され、天田いづみは1993年より志木市での空中散布中止に向けて活動すると共に、農家の方々に低農薬米を作っていただけるよう、農業関係者に働きかけてきました。
 都・県民の方々と、国・県に対しても、粘り強い働きかけを続けてきました。
 1994年、農薬取締法改正により、河川敷での空中散布は中止されました。
 1993年には県内初のアイガモ農法、1994年には低農薬・有機肥料使用の米づくりが生産者・農業委員会・宗岡農協・志木市・県農業改良普及センターの協力により始まり、市民へのPR・見学会・米の買い上げ等を支援してきました。
 1997年より県「有機100倍運動」で、2010年までに農薬・化学肥料の半減をめざす。
 1999年「宗岡コシヒカリクラブ」発足、2000年より「減農薬・減化学肥料」(農林水産省のガイドラインにより農薬・化学肥料1/2以下に削減)で県の認証取得、「宗岡はるか舞」として市内で販売しています。(2003年:市内農家の水稲栽培面積中4.4%)
 志木市においては農業委員会中心に率先して環境保全型農業にとりくみ、宗岡二小「親子ふれあい田んぼ」など、宗岡地区では地域ぐるみの稲作文化の伝承、食教育、世代間交流に発展してきました。
 野菜は市場出荷はされず、最低限の農薬使用で農家の庭先やポレール幸町(生協)で販売。学校給食には1991年から丸協出荷組合が人参、じゃが芋を生産、配達し続けて下さっています。
 JAあさか野でも、2002年度から市場出荷野菜の一部について残留農薬検査、「農薬・化学肥料の使用についての栽培管理記録簿」 を普及啓発。今後、独自で機材を購入して土壌診断も始めるとのこと。
 大切な農業と農地を守るためには、環境・消費者との共存共栄は欠かせません。これからも、安全な米、野菜づくりを応援し続けます!!
過去5年間における埼玉県農林航空事業の実施実
1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年

実施面積ha)

37,927 33,183 25,194 17,005 10,348 2,103
実施市町村数(実施団体数) 32 29 24 14 12 5
県農林部ホームページの資料より

(2004年2月)
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