(H22・3/25〜4/4)

Day(1):3月25(木)

茶馬古道の旅へいざ出発! 久しぶりの中国行き、そして念願叶い、私はやや興奮気味。 同伴のお茶のメンバ−の彼女、kさんは海外旅行はベテランとか。

 関空、9時半発 中国国際航空CA162便にて、北京へ。 そして、北京から国内線にて昆明へ。 雲南の方には、日本から直行便がないので、この日は、昆明泊です。 昆明空港到着は予定より2時間遅れの7:20分。

”タクシ−は要らないか”と言う、白タクの誘いを無視して、ひたすら、タクシ−スタンドへ行く。 運転手に宿泊のホテル名を告げると、すぐ「好(okの事)」。良かった〜〜と・・・一安心。

ホテルへ到着すると、旅行社のガイドさん(日本語話せる)が待ってくれており 帰るまでの国内線のe−チケットを渡される。 きれいなホテルで、”泊るだけなんて、残念ね”と・・・kさんとつぶやき、明日に向けて、ベッドイン。

Day(2):3月26日(金)

 昆明発8:05分の中国東方空港にてプ−ア−ルへ。 プ−ア−ルと言う名は、3年前に思芽(Simao)から、プ−ア−ルのお茶を広める為、 名前が変わったそうです。

空港には、これから4日間お世話になる、ガイドの”陳”さんが出迎えてくれていた。 移動の車は4駆で、運転手は、年齢よりちょっぴり老け気味の”陶”さん。

 

まず向かったは、大規模な茶園を展開する、龍生茶業有限公司の茶園。 新芽の出た緑の茶畑が、まるでパノラマの様に広がり、圧倒。さすが、市の名前を”プ−ア−ル”に変えただけの事はあります。



後、茶園の中にある茶葉研究所へお邪魔して、”生茶”、”熟茶”、”紫芽茶”の試飲をする。
*生茶:自然発酵茶  *熟茶:人口発酵茶 *紫芽茶:古茶



(左:2003年熟茶 中央:2007年生茶 右:2009年紫目茶)

 

  (茶葉研究所&ポインセチア集団)
     茶葉研究所を後にして、近くのお店でランチ。とっても美味しい!庶民の味で、この日から中国最後の日まで、美味しい食事が続きました!!値段、量&味で☆☆☆☆☆  

ランチの後は、茶店で、”花茶”を試飲。お茶の花を乾燥させて作ったもので、甘い味。お茶を入れる時は、いつも”ガマ”にお茶をかける。お茶をかけると、ガマがくわえているお金を吐き出すと言われているから。 がま口・・・は多分此処から来ているのかも。

 

 今夜の宿は、プ−ア−ル市から、車で約3時間走ったところの 「西双版納(シ−サンパンナ)タイ自治州」の”孟海(モンハイ)”。

孟海は、地方の田舎町といった感じ。屋台で簡単に夕食を済まし、明日に備え、早い目にベッドイン。



Day(3):3月27日(土)

雷と雨で夜中少し目が覚める。 そういえば、昨日、ガイドの”陳”さんが、「今年は雨が殆ど降らず、ここ2,3日 人工雨を降らせるようにしている」・・・と言われていたので、そのせいかも。

今日は、念願の樹齢1700年と言われる、”茶樹王”とのご対面の日。  四輪駆動で、2時間半かけ、巴達(ば-た-)の山中にある茶樹王をめだし、ひたすらgo!

このあたりは、ラオス、ミャンマ−との国境を接しており、メコン川の流れに沿って稲やサトウキビが 栽培されている。 雨が少し降ったおかげで、山々の木々、茶畑は緑色に輝き、ほっとしているみたい。 途中で、茶摘をしている人に出会う。 積んだ茶葉は、1キロ8元(120円)で売るという。


  (標高1500メ−トルの茶山)


 (新茶:一芯2葉で摘まれる)


(ハニ族の家々) 


(ハニ族のお茶作り)

茶樹王の住む山中へは、本来道が悪ければ、麓の村から、1時間ほどかけて上らないといけないのだけれど、 ラッキ−な事に、ぎりぎりのところまで、車で到着する事が出来た。


 (茶樹王の住む山の麓のダム)

       さぁ、此処から、いよいよ山道に入ります。



              


(飛行機草:飛行機に見えますか?)

ダムの麓から歩く事約30分。念願の茶樹王にご対面!! 樹齢1700年というので、一本の太い茶樹を想像していましたが、4本からなっていました。 本来は5本だったそうですが、1995年に1本枯れてしまったそうです。残念!!

近年、お茶関係者も訪れるとかで、茶樹王を守る為、周りは網で囲いがしてありました。 それにしても、1700年とは。。。。。お茶は、太古より、百薬の長として飲まれていたので、茶樹自身そのものに、長生きする要素があるのですね。 そして、その命を守る、茶の精が住んでいるのでしょう。

茶樹王に逢いに行くには、息絶え絶えに山中を歩くと想像していましたが、旅の前のウオ−キング、 (?)又は乾季のおかげで思ったより楽に到着する事ができました。

 


 

(感激で万歳のkさん&私)

茶樹王と別れを告げ、麓までくだり、ミャンマ−の検問所がある町で、美味しいランチ。 此処では写真のお茶を頂く。 地元の人は、こうして、散茶(さんちゃ)にお湯を入れて飲んでいます。

 

 今宵の宿、再び孟海へ。

近くのお店で夕食を済まし、kさんと茶店にぶらっ〜と立ち寄る。皆親切。「座ってお茶でも・・・」と勧められ、プ−ア−ル茶を頂く。

片言の中国語と、身振り手振りで・・・こんな風だから余計に楽しい会話が成立。げらげらと笑うこと〜〜。 茶店の人は、私達を韓国人か?と聞きます。 聞くところによると、最近、韓国ではプ−ア−ル茶を飲む人が増えているそうです。 だから・・・でしょう。きっと私達をバイヤ−と思ったのでは?人相も韓国人に似ているし。

写真のおじ様は、広東から茶葉の買い付けに来ており、広東の店で自分達のプ−ア−ル茶を作って売るとの事です。 「今日、採れた茶葉で一杯いかが?」と進められ頂く事にした。

それまでもお店の人の進めで、何杯飲んだことでしょう。 プ−ア−ル茶もカフェインがありで、悲しい事に、その夜はなかなか寝付けませんでした。





Day(4):3月28日(日)

前日のお茶の飲みすぎで、睡眠不足で少々食欲もナシで、今朝の朝食はパス。 一泊朝食付きといっても、このホテルにはそんな設備も無く、ホテルの近くのロ−カルのお店で麺類を 食べるのです。 麺類は殆どス−プの麺ですが、味付けはナシで、お店に並んでいる、日本では見られない様な 薬味系を入れて、自分で味を調節します。

この麺には、前日、Kさんも少々食傷気味でしたが、今朝は違うお店で、少し味を濃くして食べ、 美味しかったそうです。

 午前8時、ガイドさんと共に、出発。 まず訪れたのは、孟海の「茶葉科学研究所」。

                            (茶経を書いた”陸羽”の銅像前で)

此処は、お茶についていろいろ研究しているところで、特に”紫目茶”に力を入れて要る様です。 ”紫目茶”は、古茶の事で、コレステロ−ルを下げる効用が多いとの事です。 Day(2)、プ−ア−ルの「中国プ−ア−ル茶研究院」でも試飲したのですが、朝鮮にんじんの様な、 何か少々薬草の味がしました。 プ−ア−ルの研究院よりか、こちら、孟海の方が、紫目茶の研究は古く、積み方も一芯一葉で、 茶葉も良いそうです。

私は体に良いと言われると、すぐに好きになるタイプですが、そんな意味で、OKでした。 何度も試飲させていただき、体の中がきれいになる気がしました。 只、100g15,000円もするので、購入は。。。。。

 
(紫目茶の木)                      (真さに紫色です)



 (弁護士モトムラ氏似?の先生&代表の方)

次に訪れたのは、車で約4時間のプ−ラン族の住むプ−ラン山へ。 プ−ラン族とは、シ−サンパンナ暮らす少数民族の一つで、最も早くからお茶の栽培を始めたとされています。 現在では、約8万人が1200メ−トルの山岳地帯に暮らしています。




(春、出産ブ−ムです。大きなお腹の黒豚のお母さん)

 

ここには、昔から”酸茶”と呼ばれるお茶があります。 ”酸茶”とは、食べるお茶の事で、炒ったお茶を竹筒にいれ、数ヶ月土中に埋め、 発酵させそれを食べるのです。

自然崇拝の民族で、身近に採れるお茶を、おかずの様に食べるのは、生活の知恵でしょうか? 訪れた家の人の話では、今の若い世代の人は食べず、彼らのおばぁちゃんが食べていたそうです。 50歳でおばぁちゃんと言う女性が、私達の為に、作り方のデモンストレ−ションをしてくれました。



@茶葉を熱湯の中に入れる 

 

A色が変わるまで混ぜる

           

 B竹筒に詰め、粘土、椰子の葉で蓋をする

 

C数ヵ月後、土の中より取り出す

 

実際、頂いたのは、土の中に数ヶ月埋めていた物です。 少しの酸味と苦味を感じました。 おばぁチャンの時代には、男の煙草と同じで、くちゃくちゃとかみ、楽しんでいたのでしょうか?

他の民族に比べ、プ−ラン族の人々の生活は大変質素で、家の中は生活する最小必要品しか在りません。 戦前以上前の日本の田舎の生活が、時を越えて、そのまま続いているようでした。 お手洗いをお借りしたのですが、想像以上で・・・・kさんは「ウルルンの世界や!!」と叫んでいました。

 その次は私のリクエストで、”竹筒茶”を愛用する、ハニ族の村に行きました。

”竹筒茶”は狩猟、採集を生業にしていた、ハニ族、ラフ族が伝えるお茶です。 ハニ族は現在約25万人で、主に1500メ−トルの山岳地帯に住んでいます。 ”竹筒茶”を作ってくれたのは、ハニ族のラトウ氏、45歳。

山から切り出した青竹に水を入れ、沸騰したところで、焼いた茶の葉を入れ、1分くらい煮立て作ります。 出来上がったお茶は、青竹の香りがほんのりとし、香ばしく、ほうじ茶の様な味がしました。



 

それから、もう一つの”竹筒茶”の作り方とは・・

@5分程火であぶった青竹に散茶を詰めこみ、バナナの葉で蓋をし、3,4分火であぶる。

  Aとんとんとして、4,5回に分け、散茶を竹筒に一杯になるまで詰める

B最後に5分程火にかけ、棒で3回ほど付く

C出来上がった竹筒茶を10分ほど冷まして、斧で割る

竹から出る水分で茶葉が蒸され、棒で突く事により固められ、お茶が出来るのです。 プ−ア−ル茶の作り方と同じで、何年か置くと発酵が重ねられ、まろやかな美味しいお茶が出来上がるのです。

    

ラトウさんは、こうして昔からの方法でお茶を作り、家族用として飲み、又多くできると 売るそうです。一般には、樹齢300年の古い茶木より作るそうです。 前日行った“巴達”の茶樹王もあることだし、この辺には、こうして自然の古い茶木が多いのでしょう。 自然界からのすばらしい贈り物ですね。

茶馬古道を通り、東南アジア、チベットに運ばれるお茶の他に、地元の人々に根付ていた お茶があったのですね。飲茶の習慣は、はるか太古の昔から・・・・すごいです!!

デモンストレ−ションで使った竹筒を捨てようとするので、私頂きました。 ついでに、その時のお茶も。 世界に一つの、ラトウさんオリジナルのお茶セットです。 何年か先に、円熟味を増したお茶を、旅の思い出と共に頂きましょう。

 その後車で山を下り、南ジュ山の樹齢800年の古茶樹を見学の予定でしたが、 雨が降った為霧が濃く、断念しました。

 
(樹齢300年の茶樹)                  (ハニ族の子供達)

 
(茶摘を終わった、若いファミ−リ−と)


(大きい茶葉)

 

後、今宵の宿がある景洪(ジンホン)に向かいます。

本当にいたるところが茶畑になっています。まるで、緑に輝くジュ−タンです。 民族衣装を着て、茶摘をする彼女、笑顔がステキです。





Day(5):3月29日(水)

 午前8時、茶馬古道の出発点になったという、”易武古鎮(イ−ウ−コチン)”へ出発。

”六大茶山”の茶山郡の中心、シ−サンパンナタイ自治州の東にあります。
明、清の時代、茶の集積、加工地として栄え、茶馬古道の石畳も残っているという”易武”は、どうしても行きたかった町。 高速を走り、2時間半で町に到着。

小さな町で、お店がある通りは新しい家が並ぶ。古い町並みが取り壊されたとの事で、残念です。 通りを少し入ると、古い家、石畳が残っています。



 


      (茶馬古道の石畳)


   (茶馬古道の石畳&古い民家)

明、清の時代、此処、易武は少数民族に支配されており、茶畑があったという。
しかし、1949年、中華人民共和国の設立により、1980年まで易武では、お茶は作られなかったそうです。
そして、古い茶馬古道の石は家を作るため、使われたのだそうです。

山中には、清時代に作られた茶馬古道の跡が、今も30キロにわたり残っているそうですが。。。。。
歴史をかみしめながら歩いていると、突然の雨。あわてて、なごみの雑誌にも出ていた、「何天能」さんのご自宅へ。 雑誌上で、すでに対面しているので、懐かしい人に会った気分で、思わず私、「何天能さんだ」なんて、小さく叫んでしまいました。

何天能さん、3年前までは自宅でお茶を作っておられたのですが、政府の決まりで自宅では作れず、今は工場で作っておられます。


(何天能さん、奥さん&お孫さん)  

 
(茶葉を干している)  

          
 (水パイプを楽しむ少数民族) 

  
(刺繍に余念のないおばぁちゃま)

       雨も止み、何天能さんの車で、何天能さん経営の茶葉工場へと向かいます。工場はすぐで、さっそくお茶作りの現場を見せてもらいます。

工場といっても、お茶作りは殆ど手作り状態です。大変物分りの良い私(?)の為に、特別に餅茶の作り方のデモをしてくださいました。(優しいです!)

釜炒りし、蒸したお茶を布袋に入れ、丸い中国のお金の形をした石で踏みつけ固めます。 暫く乾かし、一袋に7つの餅茶を入れ、その袋を6個づつ作り籠に入れます。だから、”七子餅”と呼ばれるのです。 一般に餅茶一個が357gなので、合計で15kgになります。一籠(一箱)ごとだと、税金も安いので、考えられたそうです。


(摘んだ茶葉を分ける少数民族)

 
           (蒸気で蒸しているところ)

 
(足で踏んで餅茶を作ります)

 
             (6個ごと籠の中へ)

 何天能さんから、お土産にと思い、いろいろお茶を買い、この日の宿がある熱帯植物園へと向かいました。 明日は、4日間お世話になった、プ−ア−ル、シ−サンパンナと別れ、茶馬古道の交易拠点として発展した 「大理」へ移動します。



Day(6):3月30日(火)

熱帯植物園内のホテルを出、時間があったので、景洪にあるお茶屋さんへプ−ア−ル茶を買いに行きました。

買ったのは、2009年の”生茶”。”生茶”とは、自然に発酵させるお茶の事で、5年〜10年寝かせれば、よりおいしいお茶になるそうです。 シ−サンパンナ4日間で、何杯プ−ア−ル茶を飲んだ事でしょう。
もうすっかり、プ−ア−ル茶のティ-テイスタ−の弟子になれそうな気分です。

 シ−サンパンナの空港で、4日間お世話になった、ガイドの”陳さん”、運転手の”陶さん”と別れを告げ、11:20分、雲南祥鵬航空にていざ、「大理」へ・・・・・。

大理着12:10分、飛行場からタクシ−に乗り、ホテルへ。20分程かかり、90元支払う。 色々尋ねてくれるのですが、解ったのは、「日本人か?」「旅行で来ているのか?」位・・・。

ホテルに荷物を置き、近くのお店で餃子を食べ、町をぶらぶら。
夕方、街中にあるお茶のお店に入り、お茶を頂き、ついでに今宵の食事どころを聞く。
教えてもらったのは、庶民の店。安くて、おいしぃ〜〜。

シ−サンパンナでは、密度の濃いスケジュ−ルだったので、体も少々疲れ気味。ホテルでマッサ−ジを受ける。
悲鳴をあげながら、バッチリ1時間で80元。驚きの値段です。 kさんは腰が良くなったと大満足。私は押さえられたところが少々気になる。




Day(7):3月31日(水)

大理はペ−族が多く暮らす町で、茶馬古道の交易拠点として発展し、唐、宋の時代には500年以上にわたり、都として栄華を極めたと言う。 山と湖に囲まれた町は昔の建物が残り、城下町の雰囲気が漂っている。



翌日、お世話になる、ガイドの劉さんのお勧めで、明の時代に大理で暮らしていた、4人の日本人のお墓が ”天龍八部映視城”という所にあるというので、尋ねました。 もしかしたら、禅の勉強でしょうか?こちらの方が手厚く葬って、守ってくださっているとの事です。(合掌)

 

夕食まで、時間があり、昨日のお茶のお店に入る。

Kさんが、小物をお土産として渡されたせいでしょうか、私までプ−ア−ルの餅茶をもらう。恐縮〜〜です。 ここでも、つたない中国語&筆談で、楽しい会話で盛り上がる。

そして、今宵も、前日紹介してもらった、お店で夕飯。 決して裏切りません。またまたおいしぃ〜〜。



Day(8):4月1日(木)  ガイドの劉さん&ドライバ−の車でホテルを8時に出発。 喜洲(シジョウ)、剣川、沙渓古鎮経由、ナシ族の町、”麗江”に向かいます。

喜洲(シジョウ)では、三道茶、沙渓古鎮では、昔の馬商隊の宿場&茶馬隊が通過した石橋がお目当てです。 じ海の側を20分走り、ぺ-族の村、喜洲に到着。
明、清時代の古い建物が残されており、少々タイムスリップしたみたい・・・まるで、映画のロケ現場を歩いているような不思議な気分になります。




(散茶を売る人)

 
(買い物をするおばぁちゃま)

                   暫く村を歩いた後、待望の三道茶の試飲体験。

場所は、茶馬古道の交易で巨万の富を得たペ−族、ゲンさんの家。

大層お金持ちで、ゲンさんの子孫は、現在フランスに住んでいるそうです。 めかけさんもフランス人で、めかけさんの家は、インドから設計士を呼んで建てたそうです。昔、お茶はたいそう高価で金の卵だったのでしょう。

ぺ-族の踊りを楽しみみながら、お茶のサ−ビスを受ける。

一服目・・・苦茶(緑茶を10分炒り、熱湯を注ぐ)

二服目・・・甘茶(苦茶をうすめ、砂糖、生姜、チ−ズ等を入れる)

三服目・・・回味茶(山椒、シナモン、蜂蜜をお茶に入れる)

色々な飲み方があるのですね。今でも結婚式とか、おめでたい時に飲まれるそうです。


(ゲンさんの家の入り口)

  
(めかけさんの家)

                 

(三方一照壁・・・東の壁に午後、西日があたり、部屋を明るくする。ぺ-族独特の建て方)


 (三道茶をサ−ブするぺ-族の彼女)


 (古い茶器)              

途中でランチ。豆板醤で和えた”どくだみ”のサラダが意外と美味しい。 宝相寺、石鐘山石窟を見学し、アップダウンの山の中の道を沙渓古鎮に向かって走ります。 菜種畑がきれいです。

 

喜洲から、随分走りました。 ようやく、大理州、剣川県沙渓古鎮に着きました。

遠い昔、チベット、インド、ネパ−ルへお茶の運んだ、馬商隊の宿場として栄えた町。 昔の面影が残る古い町並は、まるでタイムスリップした様な気分です。

 

その日は、誰かVIPが来られる予定があり、古舞台で演奏や踊りの練習をしていました。 民族色濃い音楽の演奏・・・心に響きます。


(沙渓寺登街、四方街の中心、清の時代に建てられた古舞台)

  

  (交易で得た塩) そんなフォ−マンスをぺ-族の仏教寺院、興教寺前で地元の人達が、楽しんでいました。

 

町から150メ−トル離れた恵江の上に明朝末年に造られた、石のア−チ橋があります。 この橋こそ、大理へと向かう多くの馬商隊が通過した唯一の橋なのです。 数知れない人達、馬達の歴史がしみこんでいる橋ですね。

穏やかな風景の中に、お茶を運んだ昔の人達の歩みに思いを馳せました。

 

それから、車は麗江に向かってひたすら、山岳地帯の道を走ります。麗江到着、7時前。



Day(9):4月2日(金)

標高2400mに位置する麗江は”玉龍雪山(標高5576m)の麓に広がるナシ族の町。 古くから水の都とよばれ、麗江古城は世界遺産に登録されている。

雲南北部を支配していた「木氏」一族が、南宋末〜清の時代に此処を根拠地とし、 雲南で採れたお茶をチベットに運ぶ、茶馬古道の要衝として栄える。

昔は60頭のロバで構成され、一頭のロバが40キロの荷を担いだといわれる。 交通も不便な時代、命賭けの仕事だったことでしょう。



麗江滞在は2日、明日は昆明に移動する日なので、バスに乗り、古城以前の木氏の根拠地であり、 政治、文化の中心だった、「白沙」を訪れる。

ホテルで、バスで行きたいと言ったところ、インフォ−メ−ションの男の子はバスは無いと一点張り。 しかし、ミニバスがある事がわかり、バスの走っている通りまで送ってもらう。 (親切です!)

金甲市場で、再び白沙行きのミニバスに乗り換え、20分程で村に到着。
ホテル前から、金甲市場まで、一元、市場から白沙まで五元。 安〜〜いです。地元の人に混じり、こんな風にして訪れるのは楽し〜〜いです。


   (木氏が絵師に描かせた壁画があるところ)

 
(古い町並でkさんと)

   
(野菜を売るおばぁちゃん)



Day(10):4月3日(土)

ホテルは古城エリアなので観光には便利です。 麗江最後の日なので、古城エリアを歩いて周りました。

明時代の建物が残されている町並は、いつでも映画の舞台になりそうな、そんな魅力にあふれています。

   

元、明、清、22代470年にわたり、統治をゆだねらた木氏が暮らした広大な屋敷&敷地を 訪れました。

大理、喜洲のゲンさんもさることながら、お茶で財をなすというのは、昔、お茶は大変貴重で、 高額であった事を物語っていますね。

   

ホテルを後にして空港へと向かう。

タクシ−の運転手はナシ族とかで、とってもフレンドリ−で中国で話しかけてくる。。。少ししか解らないのだけど。。。。

おまけに日本語の歌までかけてくれる。

「再見」、「レドド(ナシ語で又逢いましょう)」 そして、麗江の町、「ヨペセ(ナシ語でありがとう)」。


麗江、18:50分、中国南方航空cz3452便にて、昆明へ。。。



Day(11):4月4日(日)

Kさんと二人の珍道中の旅11日間。 長かった様で、短かった様で。。。。中身が濃く、とっても充実した茶馬古道の軌跡をたどる旅になりました。 お茶の見聞も広まり、そして、たくさんの出会いと、楽しい思い出を一杯持って、いよいよ帰国です。

昆明8:05分、北京で乗りついで、関空着20:10分。

茶馬古道の軌跡を辿る”茶馬古道の旅”11日間。 皆さん、長い旅日記に訪問して頂き、ありがとうございました。



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