World Jazz Gallery PresentsBCL復活! |
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第2話 BCL事始め(その1) |
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それは、ふと目に止まった「新聞記事」から始まった。 (July/19th/2004) |
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BCL(海外放送受信)の場合は新聞の特集記事だった。 昭和44年のことで、当時の私は小学校6年生。世界地図を 眺めるのが大好きで、NHKの「特派員報告」を欠かさず 見ていた1少年にとって、「世界の14もの国から日本に 向けて日本語による放送を行っている。」ということを紹 介する記事は十二分すぎるくらいに刺激的だった。 早速、自宅にあった父親の2バンドのトランジスタラジオ を借りて受信を試みることにした。2バンドといっても、 聴けるのは中波と短波。当時はまだFM放送は「音楽鑑賞 用放送」の位置づけだった。また、短波にしても受信でき るのは3.8〜12MHzで、全帯域(1.6〜30MHz)のごく一部を カバーしていたに過ぎない。 現物が今手元にないので詳しい説明はできないのだが、ラ ジオの大きさは10cm×20cmで厚みは5cmくらいだったと思 う。チューニングダイヤルが変わっていて、ラジオの右上 に上下に回すタイプのものが2つ並んで付いていた。左側 が針を動かす主ダイヤルで、右側が微調用(針は不動)の 副ダイヤル。要するに、主ダイヤルで大体の目星を付けた 後、副ダイヤルで目的の局に同調させるという機構だった。 というように、BCLを楽しむには難しいラジオではあっ たのだが、日本語放送に関しては殆どの放送を聴くことが できた。中波でも強力な電波を送っていた北京放送、モス クワ放送、平壌放送、KBS(韓国)に加え、自由中国の 声(台湾)、極東放送(フィリピン)、ベトナムの声、ラ ジオ・オーストラリア、BBC(シンガポール中継)とい ったアジア/オセアニア地区の放送は手軽に受信できた。 ヨーロッパの局もバチカン放送は問題なく入感。地球の裏 側にある南米のエクアドルからも電波(アンデスの声)が 届き、これで11局までクリア。ところが、残りの3局が なかなか受信できなかった。簡単に受信できるはずだった VOAは周波数の関係でキャッチできないまま日本語放送 打ち切りとなってしまった。アルゼンチンは一番遠い国と いうことで無理矢理納得。腑に落ちないのはドイチェ・ヴ ェレ(当時は西ドイツ)。バチカン放送は聞こえるのに。 1969年の年も押し迫った12月27日だった。夜の9時頃、12 MHzあたりで耳慣れない日本語が聞こえてきた。程なくし て「こちらはドイチェ・ヴェレ、ドイツ海外放送です。」 のアナウンス。飛び上がらんばかりに嬉しかった。よっぽ ど電波の状態がよかったのだろうか。普段は聞こえない放 送が何らかの予期せぬ原因で飛び込んでくる、というのは BCLの最大の楽しみの一つである。たとえそれが中南米 の珍局ではなくて、欧州の国際放送であっても。 |
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ドイチェ・ヴェレの受信確認証 |
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ドイチェ・ヴェレ(Deutche Welle=ドイツの波)はドイツ 海外放送の愛称。ドイツのケ ルンに本拠地を置き、世界に 向けて電波を発信している欧 州を代表する海外放送局のひ とつである。国内向け放送は 行っていないものの、英国の BBCや日本のNHKと同じ く公営放送局であり、国営放 送のVOA(アメリカの声) とは性格が異なる。 日本語放送は1969年より開始 された。西ドイツ(当時)か らの直接放送で受信状態が悪 く、「幻の放送局」とも呼ば れていた。その後、送信機の 増力や海外中継の拡充により 受信状態は大幅に改善され、 日本ではなかなか入手できな いドイツを始めとする中欧の 情報を伝える放送局として貴 重な存在であった。充実した 音楽番組を楽しみしていたフ ァンも多かった。残念ながら 日本語放送は1999年に中止と なってしまった。 |
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Edited by Kazunori KONO, July/19th/2004 Back   |