World Jazz Gallery PresentsA Wonderous Encounter with The Jazz In The USSR |
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第1話ソ連の伝説のジャズピアニストに出逢うまで |
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ジャズはいかにして「鉄のカーテンの向こう側」に届いたか (July/3rd/2004) |
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時は1991年にソビエト連邦が崩壊する前の、米ソ両国が超大 国として君臨していた冷戦時代。空の上でも激しい空中戦が 展開されていた。といっても飛び交っていたのはミサイルで はなく電波。なかでも中継局なしで簡単に国境を越えること ができる「短波」は東西両陣営にとって強力な武器となって いた。 東側からはモスクワ放送、自由と進歩放送(以上、ソ連)、 北京放送、平壌放送など。また、西側からはVOA(アメリ カの声)、自由ヨーロッパ放送(Radio Free Europe)、ラ ジオ・リバティー(Radio Liberty)が、それぞれの代表選 手として放送を行っていた。 このような時代においては、当然のことながら東側諸国に住 む人たちにとって、「敵性国家」であるアメリカのジャズを 自由に聴くことは困難の極みであったようである。レコード を入手することはほとんど不可能。ジャズを志すミュージシ ャン達は、西側の放送をエアチェックしたテープ(それもダ ビングを重ねたもの)により密やかにジャズを学んだという。 もちろん、西ヨーロッパからも遠く離れたソ連に住む人たち にとって、エアチェックと言っても対象は短波放送とならざ るを得ない。自国語による放送はことごとく妨害電波をかけ られて聴取不能の状態で、ターゲットはVOAやBBCの英 語放送と言うことになる。 広大なソ連においては、短波は重要な情報伝達アイテムであ る。「都合の悪い」放送を妨害することはできても、北朝鮮 のように自国の放送しか聴けないようにラジオのダイヤルを 固定してしまうことは非現実的。隣人に気づかれないように こっそりと短波ラジオでジャズを聴くことはできた。ソ連最 高のジャズピアニストと讃えられるVagif Mustafa-zadehも そんな「こっそり組」のひとりだった。 当時の(と言ってもVagifの音楽に出逢う前だが)私の東側 とくにソ連のジャズに対する認識は、「しょせんコピーに過 ぎず、オリジナリティに乏しい」という雑誌等で得た知識を 真に受けたものだった。BCL(海外放送の受信)を趣味と して始めた70年代前半頃からソ連地域の放送をけっこう聴い てはいたものの、ジャズを聴いた記憶は殆どない。 そんな私の(誤った)認識を根底から覆すことになったが、 短波ラジオから偶然に流れてきた Vagif Mustafa-zadeh の ジャズだった。それも、その放送はVOAのジャズ番組だっ たのだから、「何という運命の皮肉!」という他ない。 |
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Radio Free Europe は1949年、 Radio Liberty は1951年にそ れぞれ設立された。前者は東 欧地域向けで、後者はソ連全 地域向け。冷戦が終結した現 在も放送を行っている。 両放送は、自由な報道が規制 されていた冷戦当時には、鉄 のカーテンの向こう側(東側 諸国)に住む人々にとって貴 重な情報源だった...はず だが、どちらの放送に対して も強力な妨害電波がかけられ ており、通常は受信不能の状 態だった。 |
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Edited by Kazunori KONO, July/3rd/2004 Back   |