World Jazz Gallery PresentsA Wonderous Encounter with The Jazz In The USSR |
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第2話そして「その日」はやって来た |
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短波ラジオから飛び込んできた魅惑的なジャズの正体とは? (July/21st/2004) |
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80年代半ば(おそらく1985年)のことだった。いつものよ うに短波ラジオのスイッチを入れた。特定の放送を聴くとい うよりも、チューニングダイヤルを回しながら、気に入った 音楽を見つけては気ままに耳を傾けるのが私流のBCL(海 外放送受信)の楽しみ方である。当時、夜の10時15分から放 送されていたVOA(アメリカの声)の "Music USA" にダ イヤルを合わせることも多かった。Willis CanoverがDJを 務めていたウィークデイ45分間のジャズ番組である。 その "Music USA" で放送されていたのは、日本でも聴ける (アメリカの)ジャズの場合が多く、「素通り」してしまう 場合も多かったのだが、その日は違った。明らかにアメリカ のジャズとは違う、中東音楽風のフレージングによるピアノ のアドリブソロが耳に飛び込んできたのである。そそくさに カセットデッキのスイッチを入れ、エアチェックを始めた。 ピアノトリオによる演奏が終わり、Willis Canoverが独特の ゆっくりした語り口で、演奏者である Vagif Mustafa-zadeh の名を告げた。ソ連のコーカサス地方にあるアゼルバイジャ ンのピアニスト。思わず「やったー!」と叫んでしまった。 この瞬間、探し求めていたものが遂に見つかったのである。 ソ連(今は旧ソ連地域と言った方が良いのかも知れない)は チャイコフスキーやショスタコヴィッチを生んだクラシック 音楽大国。であると同時に民族音楽の宝庫でもある。アメリ カのものとはスタイルこそ違っていても、スウィングやブル ースは存在する。インドやペルシャの古典音楽の影響を考え れば、即興演奏においてはむしろジャズよりも先輩。クラシ ック音楽におけるハチャトゥリアンのような存在がソ連のジ ャズにあっても不思議ではない。確信こそ持てなかったもの の、ずっと思い続けていたことが確かめられたのだ。 Vagif Mustafa-zadeh を紹介するプログラムは2夜連続。ま ったくの偶然とはいえ、今にして思えば至福の90分間だっ た。アゼルバイジャンの伝統音楽に根ざしたジャズだけでな く、「枯葉」の斬新な解釈など1音たりとも聴き逃せない音 楽が展開されていたのだから。2夜目はVagifの妻で卓越し た民謡歌手でもあるElizaとの共演が中心。Aziza Mustafa- zadehがその2人の娘であることは当然知る由もなかった。 これで気持ちは決まった。少なくとも、「アメリカのジャズ のコピーに過ぎない」という誤った先入観は完全に払拭され た。早速、新世界レコード社(東京神田の神保町にあるソ連 など東欧地域のレコードを専門に取り扱っているお店)に音 盤と情報を求めて足を運ぶことにした。 |
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VOA(アメリカの声) |
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Voice of America(アメリカ の声)は第二次大戦中の1942 年に放送を開始した国際放送 局。文字通り、アメリカの声 (政策)を世界に向けて発信 することを主目的としている。 もちろん、モスクワ放送など の共産圏の放送局に比べると 宣伝色は薄かったのだが、報 道の客観性を重視している英 国のBBCとは性格の異なる 放送局と言える。よく、国際 情勢が緊迫するとBBCの聴 取者が急増すると言われるの は、この理由によるところが 大きい。 そのVOAで永年にわたりジ ャズ番組 "Music USA" のD Jを務めていたのが Willis Canoverであった。ジャズの 情報を得るチャンスが少なか ったと思われる共産圏諸国や 発展途上国においては、いわ ば「ジャズ伝道師」の役割を 果たしていたといってもいい だろう。ロシアのジャズサイ トにも、この人の想い出が熱 く語られているものがあった。 "This is Willis Canover, Music USA, Jazz hour." の ゆっくりした語り口のアナウ ンスが今でも忘れられない。 |
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Edited by Kazunori KONO, July/21st/2004 Back   |