Live Reports from Rugby Stadium熱闘!関東大学ラグビー・リーグ戦 2004 |
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Weekly Report |
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○観戦記録 拓殖大学 vs 立正大学(2004年12月11日) |
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関東大学ラグビーリーグ戦グループ1部(2004/12/11) 於:熊谷ラグビー場(A) <試合結果> T G PG DG 得点 | 総得点 反則 拓殖大学 :前半: 4 2 0 0 24 | :後半: 0 0 0 0 0 | 24 12 +-----------------+-------------------------------+-------------+ 立正大学 :前半: 1 0 1 0 8 | :後半: 4 3 0 0 26 | 34 14 ◎出場メンバー 拓殖 : 1.谷地村 2.滝内 3.仁和佑 4.田口 5.濱口 6.辻 7.寺尾 8.仁和康 9.松永 10.井上 11.ロコツイ 12.バツベイ 13.山下 14.今 15.横山 (16.保坂 17.黒澤 18.村山 19.小松 20.粟國 21.宮本 22.川野) ○交替 2→17(後15分入替), 9→20(後21分入替), 8→ (後28分交代) 3→16(後31分入替), → (後40分入替) 立正 : 1.片岡 2.松元 3.志田 4.橋本 5.鴨井 6.菅原 7.佐藤 8.ビリアミ 9.笹倉 10.村木 11.下醉尾 12.イリレリ 13.伊藤 14.小松 15.大沼 (16.二田 17.宮崎 18.豊福 19.山保 20.阿部 21.小玉 22.松坂) ○交替 2→17(後15分入替), 3→16(後21分入替) レフリー :工藤隆太(関東協会公認) ◎得点経過 拓殖大学 0 5 10 17 24 24 T T G G 時間 0----+----1----+----2----+----3----+----4----+ 得点 P T 立正大学 0 3 8 8 拓殖大学 24 24 時間 0----+----1----+----2----+----3----+----4----+ 得点 G T G G 立正大学 8 15 20 27 34 34 ※時間×10分,T=トライ(5点),G=トライ+ゴール(7点),P=PG(3点),D=DG(3点),x=PG失敗 ◎得点者 拓殖:前半 6分 横山(T) 20分 今 (T) 36分 バツベイ(T)、井上(G) 40分 辻 (T)、井上(G) 立正:前半 2分 村木(PG) 32分 片岡(T)、村木(G) 後半 2分 大村(T)、村木(G) 19分 ビリアミ(T) 27分 ビリアミ(T)、村木(G) 32分 ビリアミ(T)、村木(G) ◎試合内容 お隣のBグランドで同時に行われていたもう一つの入替戦(中央大対専修大) をメインに観ていたため、断片的な感想にならざるを得ないが、もうひとつ身 体があったらメインスタンドでじっくり観戦したい熱戦だった。スピーディー なオープン展開指向を目指すチーム同士が展開するランニングラグビーは見応 え十分だったはずである。立正大は熊谷が地元と言うこともあり、スタンドを 埋めた応援団の力強い声援も強く印象に残る。 堀越監督(もちろん熊谷工業、早稲田OBで元日本代表のSHだった人)率い る立正大のラグビーを観るのは初めてだったが、「赤い(ジャージの)衝撃」 と表現するのが相応しいくらいに鮮烈な印象を与えてくれた。FWのモールも よし、BK展開もよし。さすが日本代表のSHだった人が作り上げたチームだ けあって、どこからでも点が取れるバランスのよいチームに仕上がっている。 関東学院とも法政とも違う、そしてトンガからの留学生が居るにもかかわらず 大東大とも違う新たな魅力的なチーム誕生、とあえて言ってしまおう。 熊谷名物の赤城下ろしの強風下での試合。前半は風上に立った拓殖大が優位に 試合を進めた。ただ、立正大の粘り強い組織ディフェンスが機能したこともあ り、攻めている割に点が取れなかったことが結果的に響いた。拓殖大は後半の 殆どの時間帯を自陣ゴール前で釘付けの状態となり、立正大FWの巧みなモー ル攻撃のプレッシャーに耐えきれなかった。 来シーズン、1部昇格を果たした立正大が流通経済大(1997年昇格)の「白い 衝撃」に続く「赤い衝撃」となってリーグ戦に新風を吹き込むことができるか どうかが俄然楽しみになってきた。今シーズン、拓殖大が上位校の厚い壁を跳 ね返せなかったことを考えれば、そう簡単にはいきそうもないことは想像に難 くない。FWの前5人がすべて4年生ということも不安材料。ただ、このチー ムは何かやってくれそうだ、という期待は十分に感じられるこの日の堂々たる 戦いぶりだった。 (2004年12月12日記) トップに戻る |
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