音楽ゆかりの地をゆく



ミュ−ジカル『42ND STREET』
 2004年夏.私は、このなつかしいタイトルのミュ−ジカルと再会しました。
1986年、初めて観たミュ−ジカルだったのです。それまでの私は、舞台といえば
“オペラ“か“オペレッタ”でした。たまたま、招待券を頂き、出かけた“42ND STREET”...。衝撃でした。「こんな素晴らしい世界を、もっと早く知りたかった!」と思いました。(映画のミュ−ジカルは何種類か観ていましたが、ナマの舞台の臨場感は全く違うものでした。)以来、ミュ−ジカルに寄せる思いが熱くなり、一連の話題昨を観続けて、現在に至っているのです。
再会したそのミュ−ジカルは、初恋の人が、素敵な大人になって現れたような感じで、ドキドキしました。新演出も加わり、一層、ゴ−ジャスになった衣装や華やかな装置の中、スト−リ−はテンポよく展開していきました。
 田舎町出身の娘が、ミュ−ジカルの主役を射とめるまでの、課程と様々な出来事...現実とオ−バ−ラップするところが、変わらぬ人気の一因でもあるでしょう。
ヒットナンバ−の歌も皆、心地よく、タップダンスの魅力を余すことなく伝え、理屈抜きで楽しめる極上のエンタ−テインメントだからこそ、再演が繰り返されるのだと思いました。この20年程で、日本にもミュ−ジカルファンが増えました。観客は、抵抗なく、舞台と一体となり手拍子をし、素晴らしいときは歓声をあげます。私もエキサイティングし、スカ−ッとしました! もちろんキャストは、80年代とはちがいます。日本公演のキャストと、今もなお上演続けているブロ−ドウェイキャストもちがいますが、同レベルで楽しませてくれます。それがブロ−ドウェイの誇りで、ロングランの所以でもあります。観客は、日常の煩わしいことを忘れ、夢の世界で楽しみますが、舞台に立つ者達のバックステ−ジのドラマは熾烈です!ジャンルは異なっても。私にも、ほんの少しは理解できます。だからこそ、切なく泣ける部分もありました。楽屋でのツ−ショットで、 ペギ−(主役)を舞台に送り出すジュリアン(演出家)のセリフが忘れられません!「舞台に出て行くまでは新人だが、演じ終えて帰ってきたときは、スタ−だ」・・・その瞬間、前の主役は退くのです。これまで繰り返されてきたショ−ビジネスの世界の厳しさです。
アメリカンドリ−ム.サクセススト−リ−.スタ−誕生物語etc...言われていますが、この、シンプルさが、今の時代に必要と思いました。若者達は、いつも夢と希望を持って!大人は初心を思い起こすように!
最後に... 今回の公演では、主役とは別に、ビリ−のタップとドロシ−役の歌唱が魅力的でした。(立場上、歌唱力が気になる私です。)    2004.8.1記


   【42ND STREET の歴史】

・1933年 モノクロのミュ−ジカル映画として登場。
・1980年 NYブロ−ドウェイの舞台に登場 
 1989年まで、3486回のロングランを記録し、1981年にはトニ−賞受賞。
・2001年 新演出で再演開始。トニ−賞ベストミュ−ジカル.リバイバル賞受賞。
 2004年の現在も、人々を熱狂と興奮の渦に巻き込んでいます。
 (ニュ−ヨ−クでは、文字通り42ND STREETにての上演です!)

 *42ND STREETの地域については、「keiko的ミュ−ジカル考〜」のブロ−ドウェイ.ミニ知識の中にあります。