音楽ゆかりの地をゆく



“ドナウの真珠”ブダペスト
ハンガリ−の首都、ブダペストは美しい街ゆえに“ドナウの真珠”や“ドナウのバラ”等と形容されています。写真や映画でもお馴染みの「くさり橋」のたもとからドナウ川越しに、王宮の丘を目にした時の感動は、これらの形容では物足りない程の、美しさと広大なスケ−ルでした。
幼い頃、“ブダペスト”という響きが面白かったので、忘れることができませんでした。そして、昭和60年頃だったと思いますが、宮本輝氏が新聞小説として朝日新聞に連載した「ドナウの旅人」で初めて、“ブダ”と“ペスト”が二つの地域であることを知った私です。東西ヨ−ロッパを横切るドナウの流れに沿って旅をするという、壮大なロマン小説でしたが、その中で、主人公はこの町を気に入ってだいぶ長く滞在しました。
それだけ魅力的な町...いつか私も行きたいと思い続けていました。

2001年.秋...目的地は「スロバキア」でしたが、そこまで行くのなら隣国のハンガリ−を見るチャンス!と思ったのです。
音楽においても、コダ−イ.バルト−ク.リストらを輩出し、民族的には“チャ−ルダッシュ”という情熱的なリズムを持ち、国民は「音楽大国」と誇りを持っています。

先に書いたように、町の中央を悠々とドナウ川が流れ、それを挟んで西側を“ブダ”東側を“ペスト”と呼び、ブダ側は王宮をはじめ歴史的な建物があり、丘陵地帯です。
そしてペスト側は平坦な大地で、商業や政治の中心地になっています。
私たちは、社会学者マコ−氏の取り計らいで、ブダ側にある「ハンガリ−科学アカデミ−客員宿舎」に宿泊させて頂きました。何と!そこは、旧貴族の館で、レトロで優雅な体験ができました。二日間の滞在で駆け足でしたが、何とか目的は果たせたように思います。 宿舎から、王宮.マ−チャ−シュ教会.漁夫の砦等の名所には歩いて行けました。
途中、コンセルヴァトワ−ルがあり、往復の都度、モ−ツァルトのオペラのアリアやアンサンブルの練習が聞こえ、青春時代に返ったように胸が高鳴りました。
 日本を発つ前から調べておいた「音楽史博物館」は、見つけるのがたいへんでした。
想像しているような建物ではなかったからです。それもその筈、かつてベ−ト−ヴェンが常宿にしていたという屋敷が「博物館」として使われていました。中にはハンガリ−の民族楽器が数多く陳列され、作曲家“バルト−ク”の資料も展示されており、興味深いものばかりでした。(充実した館内にもかかわらず、我々の貸し切り状態..。受付の老婦人二人はお喋りに夢中で、パンフレットや絵葉書を売るのが面倒くさそう!東欧らしいのどかな一コマでした)

愉快な思い出は、ブダ側から、くさり橋を徒歩でペスト側へ渡ったことです!国立オペラ劇場やコンサ−トホ−ルはペスト側にあります。残念ながら滞在中にオペラを観ることはできませんでしたが、2日目の夜コンサ−トホ−ルで、チャイコフスキ−のシンフォニ−「1812年」とマリオ・ブルネッロのチェロを聴くことが出来ました。最前列で、ハンガリアン交響楽団の深い響きに包まれ、素晴らしい時間を味わいました。
演奏と共に、信じられないような出来事に遭遇したことも、一生、忘れることはないと思いました。
 *シンフォニ−の途中で、指揮者の指揮棒が私の足下に飛んできたのです!
  もちろん、本番中ですから、指揮者はそのまま棒無しで振り続けましたが...
  聴衆は、私の足下にある指揮棒が気になるらしく、多くの視線が私の方に注がれ、
  落ち着きませんでした。4楽章が終わった時、私はどうしたものか?..迷いました  。拾うべきか?...そのうち後ろの方から立派な体格の女性が歩み寄って来て、
  指揮棒を拾い、指揮者に渡しました。これは、夢ではありません!
  私は「もし、足下では無くもう少しずれて、顔面に飛んで来たとしたら?!」..と  想像しゾッとしました。

ブダペストで見たドナウ川の景観は、昼はもちろん素晴らしく、夜は王宮やくさり橋がライトアップされ、ドナウにキラキラと光が映り、その美しさにはため息が出ました。
この、夜の景観を“ドナウの真珠”と形容したのか!..と確信した私でした。
すると、“ドナウのバラ”という表現は、ブダペストの昼の景観かもしれません。
 東西3000キロ、七カ国にまたがるドナウの流れですが、ハンガリ−で見るドナウが一番美しいと言われています。しっかりと目に焼き付けて、「ドナウ川」を讃えた音楽に接した時、思い出せるように!と思った私でした。

(因みに、ヨハン・シュトラウスの名曲「美しく青きドナウ」は、ウィ−ンのイメ−ジを持たれていますが、シュトラウスがハンガリ−へ旅行した折りに見たドナウ川が美しかったので、作曲したのだそうです。)

【♪バルト−ク・ベ−ラについて】

1881〜1945.ハンガリ−の作曲家、ピアニスト、民俗音楽研究者。ブダペスト王立音楽院(現リスト音楽院)では民族主義的な作風で作曲家兼演奏家として頭角をあらわす。ドイツ音楽の亜流ではない「真のハンガリ−音楽」の確立をめざして、民謡の収集、研究に着手。教育作品も、現代の音楽家たちに大きな影響を与えており、20世紀を代表する作曲家として、バルト−クの評価は揺るぎない。

      
ハンガリーの民族楽器 ティンバロム            旧貴族の館               コンサートホール

                         

              バルトーク「子供のためのテキスト」