ソット・ヴォーチェ



蘇州で対面した、沈蘇斐女史 @
2002年の訪中は「日中国交正常化30周年」のイベントが目的でしたが、私的に、もう一つの大きな目的を胸に秘めていました。私共は、北京での全てのイベントを終えた後、蘇州の、「江蘇省蘇州市東呉外語師範学校」を表敬訪問し、校内のホ−ルにて交流公演を行うことになっていました。(*この学校は、中学に入学する年齢から、将来の外国語教師を育成することを目標にしており、各地から選ばれた優秀な生徒が学んでいます。中.高.専.と一環教育システム。10代前半から20代の生徒が、同じ敷地内で全寮制の生活をしています。専攻する外国語別の色とりどりの制服が、華やかで印象的でした!)
交流公演には、この学校の生徒の他に、中国全土で優秀賞を獲ったという合唱団が出演することになっていました。そして、その合唱団を指揮をするのが、「沈蘇斐女史」と聞かされていました。「その人が、まだ元気に活躍している!...」私はどれほど、胸が高鳴り、お会いできる嬉しさに震えたことか?!...蘇州に着いた時から、自分が歌うことより、沈先生に会えることを想像し、ドキドキしていました。
〔中国.文化大革命〕
ご存知、1966〜1969年に中国で大衆を動員して行われた政治闘争です。既成の一切の価値を変革すると唱し、当時、多くの知識人、文化人が、殺害、投獄されました。
これは、大昔のことではないのです。その頃の日本は平和で豊かであったはずです。まだ世界観のなかった年齢の私は、ピアノを存分に弾き、呑気に歌っていました。中国で、文化が否定されている時期、日本では、中流家庭の我が家にさえ、ピアノが置かれていました。70年代に入り、日中国交が正常化された後も、文革の暗の部分は直ぐには伝わりませんでした。社会情勢に疎い私が、そのことに興味を持ったのは、中国が「文革は重大な歴史的誤り」と全面否定をした80年代以降でした。「重大な誤り?」...それを知りたいと思いました。本や資料を集めました。関連する映画も見ました。そして、雑誌の記事で心に残るあるエピソ−ドに出会ったのです!
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日米国交正常化を前に、時のトップ会談がありました。(周恩来首相.ニクソン大統領)訪中していたニクソンが「中国には沈蘇斐という素晴らしいソプラノ歌手がいましたね。お元気ですか?是非、彼女の歌を聴かせていただきたい..」と言ったのです。(実は、ニクソンは、文革の風が吹き荒れる中、音楽家も投獄されていることを知っていたのです。沈蘇斐が生きているのか、さぐるつもりで言ったのでした。)周恩来は平然と「分かりました。歓迎に、明日、この国のプリマドンナの歌をお聴かせしましょう」と答えたそうです。
沈蘇斐は、投獄されていました。声が出ないよう、喉に綿のようなものを詰められていたといいます。ニクソンの前に、何事も無かったかのように現れるまでの間は、一日です。時の政府はあらゆる努力をしたはずです。綺麗な姿で舞台に現れた彼女に驚き、喜んだのは、ニクソンより、中国の人々でした!内心は、声が出るのか不安を持ちつつ..見事な歌唱だったと伝えられています。皆、涙ながらに拍手をしたそうです。私も、このエピソ−ドを読んだ時、泣きました。何年も歌っていない状況に加え、全てを否定された精神状態で、ただ生かされていた人が、突然、歌えるものなのか?後に分かったことですが、歌う時も舞台の袖では、直前まで手錠をされていたそうです。自分が信じて歌ってきた音楽は人類の宝物。一国の政府が否定出来るものではない!と毅然とした気高い精神を持ち続けていたからこそ、歌えたのだと想います。
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この感動的な話は、忘れてはいませんでしたが、歴史上の人と感じていましたので、中国へ行くことになっても、まさかお目にかかれるとは夢にも思っていませんでした。それが、出発前に、団長が「今度、共演する合唱団の指導者は、文革時代に現役歌手で....」と、どこかで聞いたことのあるエピソ−ドを話し始めました。「エッ?その話、知っていますよ!ほんとに、その沈先生なんですか?」...と素晴らしい偶然に、驚き、感謝した私でした。