ソット・ヴォーチェ



中国ピアノ事情A
2001年の訪中は、初めての体験ということに加え、国民性の違いに戸惑いましたが、日本人が失った大切なものを感じとり、おおらかな気持ちになり帰国しました。そして、翌年2002年は日中国交正常化30周年記念の年でした。両国共、国家間及び民間で様々なイベントが催され、光栄なことに、北京で開催される記念式典に列席できることになりました。
歴史的瞬間に、政府の要人たちと共に参加できたことは、生涯、忘れることがないでしょう!(記念行事については、他のタイトルで紹介します)
式典に列席するだけなら、再び訪中はしません。式典後に開催される、記念すべき年の日中友好交流公演で歌えることが魅力で、名誉なことだったのです。それは2002年9月23日でした。会場は北京宣武区少年宮劇場...前年の経験上、中国においては多少のことは驚かない自信がありました。このお誘いがあった時には「ピアノは大丈夫ですよね?!」と念を押してありました。「北京ですからあります。心配しないで下さい」...(だよネ-。日中国交30周年記念だもの!)
当日、まずはリハ−サルの為に午前中、そこに到着。私はピアノを確かめるべく、まっしぐらに舞台へ走りました。確かに、ありました。でも、舞台に似合うグランドピアノでは無く、アップライトピアノでした。「グランドピアノがあります」と言われた訳ではありませんから、何も言えない私でしたが、その時の私の心は想像できると思います!
私はともかく、ピアニストのショックは大きかったにちがいありません。公演は、日中それぞれの持ち味が表現され、満席の場内は熱い拍手の連続でした。(私の歌の時、演歌歌手の歌のように、一番と二番の間に拍手が入り、高音で伸ばした時にも拍手がありビックリ!要は、素直で、熱いのです。いいと感じたら、思わず拍手..という人々に親しみを覚えました。)
その夜は、ホテルで、日中友好交歓晩餐会がありました。可愛い子供達の舞踊や楽器演奏等が披露され、公演を終えリラックスした私達も、童心に返り唱歌を歌いました。また、その席で私は、日中文化音楽交流会より「日中親善功労賞」を頂きました。もう、ピアノの事など、どうでもよくなっていた私でした!   

*近く、「蘇州で対面した、沈蘇斐女史」をソット・ヴォ−チェに載せる予定ですが、その中で ”中国のピアノ”に関する謎が解かれます!是非、読んで下さい。

この年も光栄なことに、セレモニ−で挨拶をさせて頂きましたので、記念の原稿を紹介いたします。
     <日中国交正常化30周年記念 スピ−チ>

この度は「中日国交正常化30周年記念」という行事に出席でき、たいへん嬉しく、また光栄に思います。昨年、私は中日文化交流団の一員として「南京」を訪れ、歌わせて頂きましたが、その時の熱烈な歓迎と温かい拍手を忘れることができません。
振り返ると、悲しい過去がありますが、中国の皆様の暖かく、広い心に触れ、安堵すると共に感動致しました。 
ご縁があり、今年も大陸の地に立つことができ、今、決意を新たにしております。
21世紀を生きる私達は「人間の尊厳」や「お互いの文化」を尊重し合い、両国間の友好が一層深まる努力をしていかなければいけないと思います。
この良き日に、改めて..「中国の皆様、宜しくお願いいたします!」
            日中文化交流団 顧問
            声楽家       吉元恵子
                          2002年9月22日