ソット・ヴォーチェ



♪音楽との出会い その一

物心ついた時、母はいつも歌っていました。もちろん専門教育など受けていません。
女学校時代の担任の先生が音楽の先生で、だいぶ影響を受けたようです。
自然に私も歌が好きな子供になっていました。英才教育や情操教育なんて難しい言葉など使わず、音楽を楽しめればいい、と言う程度のあっさりした家庭で育ちました。
小学校5年、6年の2年間、私も担任教師が音楽の先生でした。この2年間で音楽との結びつきが強いものとなりました。今思うと、この時から現在に到る道が敷かれたような気がします。ご存じの通り、小学校の場合、担任の教師が全教科を教えます。
この先生、時間割を無視し、音楽の時間以外も(音楽室が空いていなければ教室で)音楽をやりました。私が理数系が苦手なのは、算数や理科をあまり、やらなかったからかも?(うそです!同級生で立派にその道に進んだ人もいます)
とにかく、私には毎日、楽しい学校でした。クラス全員に器楽合奏を指導し、普通なら選ばれた子達で編成する合奏団を、全員に何らかの楽器の役割を与え、クラス単位で施設を慰問できるまで、教育してくれたのです。今では、こんな熱血先生は居ませんね!(体育会系には居るでしょうが..) 私はピアノの担当になり、嬉しくてがんばりました。学校でも音楽ばかり(その記憶が大きいのです)家に帰っても、手伝いも、勉強もせず、ピアノばかり弾いていました。偶然か必然か?この先生のクラスになったことで、音楽の無い生活が考えられなくなっていました。
そして中学時代、部活は音楽部。
小学校の珍しい経験のお陰で、私は周りを聞きながら、伴奏のできる生徒になっていました。ツェルニ−やモ−ツァルトを上手く弾く生徒は居ましたが、伴奏ができる子は少なかったのです。(今もそうですね)歌を心で歌いながら弾くことを、ピアノの先生からではなく、小学校の担任の先生から学んだのです。そして、家では、家族のために伴奏したり、歌も歌いたい私は、弾き語りをして遊んでいました。
そんな訳で、コンク−ルや合唱祭などでは、ピアノ伴奏をすることが多かったと思います。中2の時、進路を決める決定的なことがやってきました。どこの学校でも行っている音楽鑑賞会です。細かなことは覚えていませんが、音大生のオペレッタの劇団が来たのです。ナマで観るのは初めてでした。歌って、芝居もして、時には踊り..何て素敵なんだろう!「音大に入りたい。入ろう!」と、そのとき決めました。
まだ子供だった私は、専門家になりたいと思ったのではなく、音大がカッコイイ!と思ったのでした。それからは、音大生を夢見る少女..どんな音大があり、どんな勉強をしなければいけないのかも分からない頃でした。笑い話のようですが、母が今も語る本当の話...
3年生になり、高校を決める頃、進路指導の先生が「恵子さんは、音大、音大と騒いでいますが、その前に、高校に入らなければいけないんですよ!よく、話し合って下さい」 これでは、私が知能の低い生徒みたいですね!(笑)