ソット・ヴォーチェ



♪音楽との出会い その二
日本に飛び級なる制度があれば、高校なんかに入らず、中学から大学(音大)に入りたい気持ちでしたが、本気な訳はありません。もし、飛び級ができるとしても、それは、お利口さんができる訳で..私のような並みの頭では無理なことは確かです。 
周りをやきもきさせた私は、当時、合唱の名門校であった女子高に入りました。ここでも、素晴らしい音楽教師と出会いました。中学までの、単なる憧れ的存在の音楽を、本気で学びたいと思わせてくれた先生でした。
合唱部に席を置いた私は、コンク−ルでは皆と歌い、音楽祭などでは、ピアノ伴奏にまわり、3年生の時は指揮者になり、先生が出られない時、練習を任せてもらったのです。今思うと、たかが17歳の子供を一人前に扱って下さったあの先生の人間性には驚きます。合唱団のレベルを向上させる為のメソ−ドを、私に本気で相談しました。細かな練習カリキュラムを、定期的に便箋何枚もに書き、渡してくれました。先生が他界なさった時、宝物であったその、便箋の箇条書きを読み返し、涙が止まりませんでした。当時、何の疑問も持たず、音楽作りの二人三脚をしていましたが、大人になり、それを読むと、教師と生徒のやりとりとは思えない内容なのです。
きっと、生意気にも先生について行けるよう、必死に音楽の勉強をしたのだと思います。(その時は自覚はなかったのです。)そのお陰で、音楽全般(理論、音楽史等)は受験の為に勉強しなくてもよい位になっていました。
「この先生のように、音楽の素晴らしさを自然に伝えられる音楽教師になりたい!」と思い、私の音大への道はいよいよ具体的に動き始めました。理数系が苦手な私は、一刻も早くそれの無い、音大に行きたいと願いました。自分で書店で調べ、教授名に高田三郎(作曲)伊藤京子(声楽)の名があっただけで、単純に国立音楽大学と決めていました。(たとえ入学できても、その両大先生に巡り合えるか分らないのですが)私は本当に、音楽の道へ導いて下さる良い師に出会い、幸運でした。
国立音大入学後も、素晴らしい師に恵まれましたし、専門大学特有である、全国から集まった個性的な学生達..仲間からも多いに学びました。だれもがきっとそうだと思いますが、自分の専門に打ち込めた大学時代は、色あせることなく今も輝いていて、音楽を専らとするようになった私を、時には励ましてくれます。素晴らしい人たちと出会えたから、音楽をやっていて、音楽をやってきたから、素敵な出会いもあり...ますます音楽を通して、世界が広がります。この人生をやっぱり感謝しなければいけないのでしょうね!