ソット・ヴォーチェ



♪音楽との出会い その三
 私の音大時代で大きく占めていたのは、イリス合唱団でした。団員には器楽科、教育科等がおり、声楽専攻の学生は少ないくらいでした。国立音大の名物的、行脚(あんぎゃ)があり、音楽の底辺を広げる活動として、色々な地域に演奏旅行をしました。学校公演が主で、時には地方都市で一般公演もしました。行脚参加の資格は2年生からで、私は4年生までの3年間、これに参加したので、夏休みをまともに休んだ記憶はありませんし、学生時代のプライベ−トな旅行等は、記憶にありません。小さな小学校から、男子高校まで、様々な学校公演での演奏と、子供達の生き生きした瞳との出会いが、私の何物にも代え難い素晴らしい体験でした。
かつて、自分が中学の時憧れた音大生になり、ステ−ジに立てたことの感動を噛み締めました。自分がそうであったように、きっと私たちの演奏を聴き、音楽の道を志す生徒もいるかもしれないのです!1日に3ステ−ジもあることもありましたが、手抜きはできませんでした。今、この時、鍛えられたことが私の財産です。「聴く人は1回。常に新鮮な気持ちで!」..夏休み中の行脚が終わっての後期の授業がたいへんでした。喉は疲れ果てて、レッスンでスム−ズに声が出ないのです。声楽の先生の風当たりが強く、行脚に参加したことが知れると、「止めなさい!」と言われるので、夏休み後はいつも、不摂生で夏風邪をひく学生ということになっていました。
そんな訳で、このイリス合唱団の体験を生かし、卒業後は先生より、プロの合唱団に入ることを選択しました。当時、プロの合唱団は、日本合唱協会と東京混声合唱団がありましたが、オ−ディションは同じ時期にあるので、東混の方を受けました。他の音大からもたくさん受けましたが、イリスの先輩たちも入団しているし、私には自信がありました。
自分の前の人の歌も聞きましたが、内心、レベルが低いなあ..なんて思っていました。 二次試験で自由曲を歌った時です。試験官が「いい歌、歌うねえ−。でも、うちは、そんな立派な声は要らないんだ。他の団員と声が合わないとね..」ほめられたのか、けなされたのか?訳がわかりませんでした。全員終了して1時間後、合格者を張り出すというので、それまで近くの喫茶店で待ちました。結果は、ソプラノは、3人とり、私も入りましたが、2ヶ月の研修期間があり、その間、東混の音色になったら正団員ということでした。その後、例の試験官の言葉がついて回り、私はのびのび自分を表現できないこの合唱団の練習に疑問を持ち、一ヶ月で辞めました。体の小さい私はずっと、オペラなんかできないと思い、プロになるなら合唱団止まりと決めていたのですが、あの試験官の言葉のお陰で、「その立派な?声を生かしてやろうじゃない!」と奮起したのでした。
 それからの道は、様々な障害物に遭いながらも、現在のプロフィ−ルにつながることになりました。こちらの道を選んだから、今の私が居ます。もし、あの時、合唱団の一員で居たら?...きっと、狭い範囲の出会いしかない人生だったでしょう!