音楽ゆかりの地をゆく



運命の歌−“ファド” 後編
 前編では“ファドの女王”アマリア・ロドリゲスから記述しましたが、ここでは、今回の旅行でナマで接した現代の“ファド”模様を記します。
旅行社に立ててもらったスケジュールでは、リスボンでの2夜(6/2.6/3)“ファド”を体験することになっていました。
それでも、他のツァーには無い企画でしたが、思いがけず、6/1に“コインブラのファド”も聴くことが出来たので、3夜連続“ファド漬け”になり、大いなる収穫を得、自慢の旅になりました。

“コインブラ・ファド”とスペインの“トゥーナ“

 ファドは19世紀にリスボンに生まれたと言われていますが、コインブラの町にもリスボンのファドとは趣を異にする“コインブラ・ファド”がありました。
リスボン・ファドが女性の心情を歌うのに対し、コインブラのファドは男性の歌...
もともとは男子学生が愛する女性に捧げたセレナーデで、メロディーは甘くセンチメンタルなものが多いようですが、学生生活を歌った明るい曲も含まれていると言います。
その伝統は今も学生の間に受け継がれていて、*5月の卒業生たちのお祭り(Queima das Fitas)で、ファドを歌い、演奏するメンバーは、花形として脚光を浴びると聞きました。
*大学の町コインブラでは、5月が卒業の季節。町はお祭り気分に包まれ、最大のイベントが
  第2週目の火曜日に行われる学生達のパレード。
  学部ごとのシンボルカラーを身に着けそれぞれの色で飾られた車で町中を行進するといいます。
  赤は法学部、青は科学、黄色は医学等..
  かつては(車の無い時代)自分の所属する学部の色のリボンを黒いマントにつけて町を練り歩いた
  そうです。
  この度、初めてこの伝統を知り、私はスペインに伝わる“トゥーナ”を思い起こしました!

  “トゥーナ”とはスペインの大学の学生たちによる音楽ユニットです。13世紀に
  カスティーリャ・イ・レオン地方に作られた大学には様々な階層の学生が通っていたそうです。
  特に金銭的に貧しい学生は、居酒屋や広場や通りを巡って、音楽を奏でて、
  代わりに食事にありつき、チップを稼いでいました。
  また、学業を続けるための資金の足しにもしていたようです。そして、16世紀にはスペイン全土に
  広がりました。 (彼らは、若い女性に人気があり、それを利用して若い女性を
  口説こうとしたのでしょう?ラブソングが多く今もスペインには“トゥーナ”の名曲が沢山残っています。
  現代も、名門大学には代々受け継がれており、ところによっては100年、200年間にわたって
  衣装が受け継がれ、各大学の紋章や地方のマーク等が付けられています。
  スペインを旅行すると、ショータイム等でアルバイトの学生達が歌う“トゥーナ”に出会うことも
  できますが、盛大な、大学間の大会やコンクールもあります。
  演奏スタイルはワッペンが沢山付いた黒のマントに大学のカラーのベルト。(コインブラ大学の話に似てる  でしょう?)
  スペインの学生の特徴は、肩に幅広のリボンが下がっていて、それは最初から付けたものではなく、
  セニョリータから歌のお返しに贈られたもので、愛の言葉が書かれていたりします。
  リボンの数が多ければ多いほど、歌が上手くて女の子にもてる証拠という訳です。

 ポルトガルに戻ります。同じイベリア半島の隣同士の国に、学生の伝統の歌があったことに感動しました。
コインブラに大学が落ち着いたのが1537年といいます。
スペインで“トゥーナ”の歌が全土に広がった時期が16世紀ということですから、同時期から、学生達が歌っていたと思われます。
きっと当時は“ファド”とは呼んでいなかったと想像します。
時期的に、コインブラで学生達の歌を聴くことはできませんでしたが、購入したCDを聞くと、雰囲気や発声等見事にスペインの“トゥーナ”に類似していました。
“知るを楽しむ”...まさにそんな旅になりました!
 “ア・カペラ”というファドレストランのオーナーと知り合ったことは「ポルトガル紀行U」に記しました。
おもいおもいに着飾りタクシーで会場に乗りつけた私たちは、その夜、初めて男性のファドを聴きました。
哀愁のある響きのファドギターも、素敵な男性が演奏すると一層、心に響きました。
この地で、ファドを歌う歌手は、コインブラ大学の出身者がほとんどだそうです。
 前評判通り、黒いマントで現れ、切ない表情で歌います。
みな、思いが通じない歌や失恋の歌のようです。
テノールでしたが、アカデミックな発声ではなく(所謂、イタリアのベルカントでは無い)響きを鼻(顔の中心)に集める歌唱法でした。
民族音楽の部類でそれなりの味わいがあり、やはり“トゥーナ”と似ていると感じました。
ほんとに貴重な体験をした素敵な夜でした。

リスボン(Lisboa)のファド

 6/2.ついに本場のファドを聴く夜がやってきました。
“ファド”を聴かせる店を、現地ではファドハウス(Casa de Fado)と呼びます。
ガイドブック等には「ファドレストラン」と書かれていることもありますが、この場合は観光客やリッチな人達が入る高級な店のようです。
地元のおじさん.おばさんが歌うような庶民的なファドハウスから、第一線で歌う歌手が登場し食事を楽しみながら聴くファドレストランまで、たくさんあるようですが、私の目的はレベルの高いファドを聴くことでしたので、リスボンでも3本の指に入ると言われている店を予約してもらいました。
 クルベ・デ・ファド(Clube de Fado)は、オ−ナーが日本にも公演に来たことがあるという有名なギタリストのマリオ・パシェーコ氏。
店内は、落ち着いた高級レストランという感じでした。
私たちの予約席は、店内の奥でした。案内される途中、どこで演奏するのかしら?と周りを見渡しましたが、ステージらしいスペースはありません。
9時位からゆっくりと食事をし、演奏が始まるのは10時くらいだったと思います。

 ♪ファドの伴奏は、ヴィオーラと呼ばれる通常のギターと、ギターラというポルトガル独特の
 丸いギターです。
 歌い手を、ついファドシンガーと言ってしまいますが、正式には「ファディスタ」と呼ぶのだそうです。
 薄暗がりの中、哀愁のあるギターのイントロが始まりました。
 どんな声が聞こえてくるか?...息をこらして待ちました。
 ファディスタは、黒いショールを肩にかけ、暗い客席に立って歌っていますから、表情は判りません。
 ハスキーヴォイスに言葉を吐き捨てるように歌う唱法...。CDで聴いていたロドリゲスの歌い方に
 似ていました。ファディスタは数曲歌っては、短い休憩が入るという形式で、次々と変わりました。
 ガイドさんの説明にによると、最初は前座的で、時間が遅くなるにつれ、ベテランが登場する
 ということでした。
 4,5人の歌を聴くと12時くらいになってしまいますが、お客が居る限り(?)延々と深夜2時位まで
 続くと聞きました。私たちは、マリオ氏のギター演奏とともに、5人の歌を聴きました。
 中には、初老の男性のファディスタも居ました。
 やはり、後の方がだんだん上手になってくるのが判りました。聴いているうちに理解したことは、
 ファドを歌う人達は、強い地声を持っていること.マイクを使わずナマの声で歌うためか、
 アゴを突き上げて、天井に顔を向けて歌うこと.(これは“コインブラファド”の発声で述べたように、
 響きを顔の中心に集めていることと同じ)
 リズムのある明るい歌の時、肩や胸をゆらしても、決して下半身は動かさず腹筋をしっかりと
 保っている.詩の世界に入っているので、目を閉じて歌うことが多い.
 以上が、ファディスタ共通の形でした。そして、女性は必ず黒のショールを纏う.男性は片手を
 ポケットに入れて歌う...これが伝統スタイル。
 見事に、みな 同じ!
 でも、歌唱スタイル、衣装等が同じでも、やはり、表現力は同じとは言えません。
 ベテランと思える人は、暗くて見えなくても、目を閉じていて表情が判らなくても、私にポルトガル語が
 理解できなくても、惹き付けるものがあるものです!
 完全に詩の中の主人公になれる歌手は、歌に深みと幅がありました。
  閉店まで聴くことは無理でしたが、力いっぱい拍手をしたファディスタが2人いたので満足です!
 (私はあつかましくも“I am a Japaniese Singer.”と挨拶し、オーナーとお気に入りのファディスタと
 記念写真を撮らせてもらいました。クルベ・デ・ファドの店内はアマリア・ロドリゲスの写真や
 肖像画が沢山飾られていました。ファド=ロドリゲス.ロドリゲス=ファド.を感じないで居られない
 夜でした!

6/3.この夜のファドレストランは、セニョール・ヴィーニョ(Senhor Vinho)でした。
リスボンでも「一級のファディスタ」と言われている歌手ロドリゴの店と聞きました。
最初から上手な歌い手が登場する店という触れ込みでしたが、先入観に囚われないで聴けるようにと思いました。
ここに来る前に、私たちは「アマリア・ロドリゲス記念館」を見て、ファドに向き合う思いがだいぶ高まっていました。前夜、演奏スタイルも学び、皆、楽しむ余裕も出て来たようにも思います。
例のごとくまずは、ゆっくりと夕食。
やはり、ステージはありませんが驚きません。“ファド”は舞台で歌うものではないのです。
店内の一角...柱や壁の前にギタリストを従え、黒をまとったファディスタが立つと、もう“ファドの世界”ができるのでした。
前夜と同じく5人の歌を聴いたと思いますが、趣がだいぶ違いました。
若い男性のファドと、ギターラを演奏しながら歌う中年男性のファドを聴くことができました。
どちらも楽しみましたが、心の深いところに訴えかけてはくれませんでした。
忘れられない女性が二人いました。一人は最初に登場したお腹の大きな(妊婦)ファディスタ。
一人は自分の世界を持ち、聴衆の心を捕らえる力がありました。
もしかして前者は、赤ちゃんを産んだら人生を歌えるのかも知れません..?
 ファドハウスにはプログラムがありません。地元の馴染み客にはわかるのかも知れませんが、私たちには、歌手の名前も曲名もわかりませんでした。
でも、印象に残った歌や歌い手は、今もなおハッキリと浮かんできます。
海に出たまま戻らぬ男や肉親を待つ哀しい女.実らぬ恋の悲しみ等の「人間の運命」を表現する歌が“ファド”と言われていますが、時代が変わった今、ファディスタは先輩達の物真似にならず、この時代にも通ずる“人の世の哀しみ”を表現できるよう、真に自分の世界を持って欲しいと願いました。
ずっとずっと“ファド”が残ってほしいからです!
どのジャンルも、後に続く者は辛いものです!それが後に続く者の“運命”なのでしょう!
                         (2006.夏.回想記)

   ★チョッピリ長いあとがき★
前編.後編を通して、「ファド」について多少でも伝えることができれば幸いです。
ポルトガルへ行く前は「ポルトガルへファドを聴きに行くの」と言うと、「何のこと?」とけげんそうな顔をされ、帰ってからは「ファドを3夜続けて聴いたのよ」と自慢してもそれが通じる人が少なく焦れったい思いを味わいました。
ツァーのパンフレットにも記載させて頂きましたが、ヨーロッパでは、イタリアのカンツォーネ.フランスのシャンソン.ポルトガルのファドが三大ソングとして広く知られています。
前者の2つは日本人にとって馴染み深いのですが、実は皮肉なことに本場ではあまり歌われていません。シャンソンにいたっては、現代のパリで聴くことは困難と言われています。
ポルトガルで長い間歌われ、今も逞しく根付いている「ファド」を日本人(特に若い人)が知らないことの一つに、情報が少ないことがあると思いました。
旅行前に調べても、簡単な紹介しかなく、CDの種類も少なく、いよいよ行って確かめるしかない!と感じた次第です。
ガイドブックや資料に「ファドは日本の演歌のようなもの」とか「憂愁と哀惜に満ちた歌」とか書かれていたりします。
これは、あまりに漠然としています。
音楽を知らない人間が言葉を並べただけ...
リスボンで身近に「ファド」を聴いた私はそう思いました。
「〜演歌のようなもの」という表現をそのままとって聴いたら、「どこが似てるの?」と疑問を持つ人もいるでしょう。
要は、「演歌」が日本にしか無い独特の歌い回しであるように「ファド」はポルトガルにしか無い独特な歌い回しであると解釈すればいいのです。
敢えて共通点を見つけるとすれば、マイナー(短調)の曲が多いということでしょうか。
私は、ポルトガルにしか無い独特の歌い回し(歌い方)と発声を確かめることができました。
クラシック歌手のようにマイクを使わず歌うことも初めて知りました。
これらはどの資料でも見つけることができなかったことです!(大きな特徴なのに)
日本の流行歌手で、マイクに頼らず歌える歌手が何人いるでしょうか?!
日本で広まらなかったのは、歌える歌手がいなかったからかも?...。
ギターも歌も拡声器を通さず、楽器本来の音色と人間のナマの声の神秘に拘り続けている「ファド」に、機上より心から敬意を表し帰国したことを記して
楽しい回想を終えます。   ♪K子