音楽ゆかりの地をゆく



慕情
香港を舞台にした1955年のアメリカ映画です。今でこそ、香港はポピュラ−な観光地になっていますが、1955年当時の日本人にとっては、未だ気軽に出かけられる国ではなかったと聞きます。
私は「慕情」を、学生時代に古い名画ばかり上演している映画館で観ました。中国政府の将軍の未亡人である女医と、アメリカ人記者とのメロドラマで、音楽が素敵...それくらいの印象だったと思います。(若すぎたんですね)香港の情景の印象が残っていなかったのです。
その後、ハイバリトンで歌われる甘いテ−マソングは、BGMでよく聞き、「映画音楽集」という楽譜では必ず目にし、私の中で「慕情」は、映画というより”歌”でした。
大人になり(?)香港を訪れた時、観光ガイドが丘を指差し「あそこが、映画の舞台となったヴィクトリア・ピ−クです」と説明しました。その映画を観ていない人にとっては、何の感動もないような丘ですが、私は思わず「LOVE IS MANY-SPLENDORED THING♪」と歌いました。その時のガイドさんの嬉しそうな表情は忘れられません。(確か90年代の半ばに行ったはずですから、名画とは言え、昔の映画の事を知っていて、ガイドの案内に感動する人も少なくなっていたのでしょう。)「よく、ご存知ですね。あの映画は、香港を世界中に紹介してくれました。お陰で、観光客が増えたのです..」
もっと話したい様子でした。歌いはしましたが実は、映画の内容はよく覚えていなかった私は、多少、後ろめたい思いでもありました。
帰国して、ビデオでもう一度、観ました。深い内容でした!初めて観た時は歴史の認識もなかったので、新聞記者が戦場で亡くなった時は、その悲恋に涙しました。二度目に理解したことは、その戦争が朝鮮戦争であり、戦地での取材で帰らぬ人となったことでした。この時の涙には、戦争に対する憤りと、残された恋人が生涯を医術に捧げるという健気さが含まれていました。そして、つい先日、どうしても観なければ!と思いました。
イラクでの人質事件があった後、「自己責任」という言葉が氾濫しました。真実を伝える為に、ジャ−ナリストは危険や死をも覚悟し、戦場へ入るはずです。報道されなくても、これまで、戦場に散った記者は少なくないでしょう。戦争の悲惨さを伝えることで、反戦を訴えなければ!という信念のジャ−ナリストに対し、平穏な場所にいる我々は、軽率な発言はできないと思いました。
兵士ではなくても戦地に行かなければならない人達にも皆、家族、恋人..大事な人が居る筈です。不安を抱え待つ人達の心の叫びは「何故、あなたが!?」でしょう。戦争では、多くの名も無い人達が泣きます。半世紀も前の映画でそれを語っていました。
「慕情」のテ−マソングは、ロマンスの甘さ、壮大さ、激しさが織り成されていて、名曲ですが、三度目は、過ちを繰り返す人間の愚かさが悲しく、「むなしさ」が加わった涙が流れました。(皮肉なことに、この名画、名曲を作ったのも、イラクで戦争を続けているのもアメリカです)

*香港が返還された後、再度、訪問しましたが、相変わらず観光ガイドはヴィクトリア・ピ−クで、「慕情」のことを言いました。以前にも増して、”そんな映画なんか知らない”という顔の人達ばかりです。そろそろマニュアルを変えればいいのに!と感じながら、私の頭の中にはハッキリと、愛を語り合う丘のシ−ンが浮かんでいました。
主役のジェニファ-・ジョ−ンズのチャイナドレスに魅せられた私の香港土産はもちろん”それ”でした!      2004年5月5日

    

 ヴィクトリア・ピークにて