音楽ゆかりの地をゆく



城ヶ島の雨

                                        詩:北原白秋
                                        曲:梁田貞(ヤナダ テイ)

雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟

ええ 舟は櫓でやる
櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ 
日本人なら、どこかで耳にしたことがあるであろう名曲です。(今の若者には期待しませんが)日本歌曲集にあるので勉強しましたが、大正2年(1913年)に作られた、古い歌です..とは言っても、1700〜1800年代の西洋音楽を歌い続けている我々ですから、新しいと考えなければいけないのかもしれません。 
それにしても、当時のことを教えてくれる人はいません。コンサ−トで歌うことになり、城ヶ島に行ってみたいと思いました。 神奈川県、三浦三崎、その沖にある小さな島でした。
そこの景色が浮かばないと歌えないと思ったので行きました。快晴で、物悲しさは感じられませんでしたが、しっかりと風景は目に焼き付けました。あとは、歌う時、頭の中で雨を降らせるのです。
 北原白秋が、なぜこの詩を書いたのか? この時、知りました。
当時、三浦三崎に住み、家族と城ヶ島を望みながら暮らしていたのです。
雨の日、晴れ渡った日、様々な顔の城ヶ島を見ていたことは想像できます。舟や船頭さんの様子は、今の時代とは確実にちがうものを見ていたでしょう...。
たった一つの歌から、想像力が広がっていき、歌作りの面白さを今さらのように感じました。 
利休鼠..これは色を表す表現ですが、ただ、「灰色」ではいけない、雨の色と言葉の響きへのこだわり。これだけでも感動です!
歌い流してはいけないと思うところばかりです。(この時代でさえも、「どんな鼠が降ってきますか?」と聞かれ苦笑したと、白秋が語っている資料がありましたから、現代の日本人は理解できないかも知れません。
「ネズミ色」も使わなくなり、灰色、グレ−等になりましたね)  余談になりますが、日本古来の色の表現は、温かですね。
あずき色、桃色、江戸紫、紅色、群青色、蜜柑色...色具合が違うはずですが、カタカナで色を表現することが多くなりました。
 さて、詩人だけを語っては不公平ですね。当時、すでに大詩人であった北原白秋に、作詩を依頼したのは、島村抱月率いる「芸術座」でした。新劇のみならず、音楽界にも新風を..と「芸術座音楽会」を開くことにし、オリジナルの曲を発表することになったのだそうです。
作曲を担当したのが、当代一流の名テナ−であった梁田貞氏。(ヤナダと読む)今では、この歌の作曲家としか認識されていないようですが、歌手でもあったのです!音楽会では、自作自演をしたことになります。この作曲に関しても、ドラマティックなエピソ−ドがあります。
音楽会は10月30日に決まっており、北原白秋には春から、詩の依頼をしていたのに、度々の催促にもかかわらず出来上がらなく、やっと梁田氏の手に渡ったのは、10月27日。そして2日間はひたすら詩を読むだけ..作曲にかかったのは、29日の21時からで、徹夜で作り、明け方に完成。それで、演奏者に渡してバンザ−イ!
ではないのですよ。自分が、夜、歌わなければいけないのです。その前に、ピアニストに急いで練習してもらい、合わせてもみないと本番に臨めません...たいへんな才能を持ち合わせた人物だったと思います。 私の胸にだけ納めておくにはもったいないエピソ−ドでした。 もし、これから聴く機会や歌う機会のある方は、この大正時代に生きた熱い人たちを想ってみて下さい!