音楽ゆかりの地をゆく



古関裕而記念館
 古関裕而氏は(明治42年〜平成元年)福島市に生まれました。
 記念館は昭和63年にオ−プン(福島市入江町1〜1)

1階は通りに面してガラス張りで、映像と共に古関メロディが流れており、来館者がゆっくりとくつろげるサロンがあります。

2階は展示コ−ナ−で、写真、直筆色紙、楽譜等、600点も展示されています。
また、試聴コ−ナ−もあり、古関作品100曲を自由に選択してヘッドホンで聴くこともできます。 和室は、古関氏が作曲をする際に使っていた部屋が再現されており、氏の
几帳面な性格がうかがえました。

 この記念館を訪ね認識したことは、古関氏の作風は、歌謡の域を越え、歌曲ともいえるような、格調を持っているということです。戦前から作曲家として活躍され、多くの名曲を残していますが、清潔感のある曲調で、今も歌い継がれています。
クラシック音楽のように、流行歌の場合、作曲家が誰か..など意識して聞きません。
ここで驚かされたのは、これも、これも?...この歌もそうだったの?と、耳なじみの歌が、古関作品として並んでいたことです。

 紺碧の空(早大応援歌).暁に祈る.鐘の鳴る丘.君の名は.とんがり帽子.
 長崎の鐘.栄冠は君に輝く(高校野球大会の歌).東京五輪オリンピックマ−チ.
 札幌冬季五輪純白の大地.高原列車は行く.等。
作品総数は5000曲もあり、以上の代表曲からも判るように、爽やかで、未来に希望を抱かせる作品を発表し、多くの人々に愛唱されてきました。
 中でも感動したのは、「長崎の鐘」の原作といえる「長崎の鐘」「この子を残して」の著者、永井隆博士から贈られた、ロザリオと病床で書いた手紙です。
地球上に原爆が投下された現実は、語っても語っても、、語り尽くせません。
時が経ったからこそ、次代の人達に伝えなくてはいけないのです。せめて、この名曲に込められた思いをだいじに噛みしめ、歌い継ぎたいと思いました。

  天は二物を与えたようです。 古関氏は絵の才能もあったようです。
  歌のタイトル(楽譜)と共に、色紙には直筆の美しい絵が添えられているのです!
  繊細な芸術家であったと思います。まだ貧しかった頃の日本に、このように心豊か
  な音楽家がいらしたことを誇りに思い、清々しい気分を味わいました。