ソット・ヴォーチェ



中田喜直先生は日本のシュ−ベルト!
 「夏の思い出」「小さい秋みつけた」「雪の降る町を」これらの歌を聴いたことがない人はいないでしょう。中田先生の作曲です。小学生で習った「めだかの学校」も、ポピュラ−な「心の窓にともしびを」等もそうです。これは、ほんの一部で耳なじみのある歌ばかりですが、実は、専門的には、合唱曲にも多くの名曲があり、声楽家が歌う歌曲は、山田耕筰に匹敵するくらいの名曲があります。歌曲集を出版しても、第一版で店頭から消えていくものが大部分の中、戦後の作曲家の歌曲集で、増刷が繰り返されているのは、高田三郎、中田喜直、他数人の作曲家しか知りません。
一般の人達は歌曲集など目にする事はないでしょうと思い、「単なる夏の思い出のおじさんではないんですよ!」と紹介してみたくなりました。 
 中田先生は、芸大のピアノ科卒業で、作曲科出身ではありません。ご自身がピアニストですから、ピアノパ−トを美しく表現されています。(歌の伴奏等)また、ピアノ曲の作品も多く残しています。ご自分が、手が小さくて苦労したことを踏まえて、無理が無く、美しく!をモット−に作曲にあたりました。先生は、終生、「体型に合ったピアノを!」ということを訴えましたが、未だに理解しない人が多い現状です。スポ−ツであれば、野球やサッカ−等、子供の頃の用具と大人になってからのそれは当然違う。バイオリンは、小さい体に合わせて、小さいバイオリンでレッスンを始める。ピアノは?3歳の幼児も成人した大人も、同じ楽器を使うのは変ではありませんか?!という論です。
 加えさせていただくと、見かけの大きさではありません。鍵盤の部分です。子供の手と大人の手の大きさには差があります。男性、女性でも違います。西洋人と東洋人でも体格が違う分、手の大きさに差があります。しかし、それら全ての人が、同じ大きさの楽器で演奏しているのです!鍵盤の幅が、少し狭くなっただけで、無理なく自然に弾けたり、練習が辛くなかったりするのです。洋服や靴にサイズがあるように、ピアノにもサイズをどうして作らないか?..と中田先生は、新聞や雑誌等で訴えました。
私も同感でしたから、S.M.L.くらいの鍵盤サイズが、自然に売られるといいなと思いました。また、絶対に、日本人なら出来て、その日が遠くないと信じていましたが..。
そんな日を見ずに、2000年5月、中田喜直先生は他界しました。
先生のピアノは特注で、1オクタ−ブで、1センチくらい鍵盤が狭いものでした。
それで、作曲の仕事をするようになり、とても楽でよかったそうです。音が1オクタ−ブやそれ以上飛んでいるときなど、弾くので精一杯ではなく、きれいな音ということに集中できたそうです。モ−ツァルトが弾いていた頃のピアノは、現代のピアノより1オクタ−ブで8ミリくらい狭かったそうです。あの天才少年も、今のピアノだったら、天才ぶりは発揮できなかったと思いませんか!今の鍵盤の幅を決めた人は誰でしょう?その根拠はどこにあるのでしょう?..みな、そこまでは感じながら、学者さんも楽器やさんも、面倒臭いのか、そのままという現実です。(これについて、感想や意見がありましたら掲示板に、お願いします。この討論をしてくれるだけでも、中田先生は喜んで下さるでしょう) 最後に、高度な作品ばかりではなく、最初に挙げた歌のように、楽譜なんか見なくても国民が愛唱できる歌を書いた先生は「日本のシュ−ベルト」だと思います。
「野ばら」が世界中の人々に愛唱されているように、「夏の思い出、小さい秋みつけた、雪の降る町...」は生き続けることでしょう!
 私は、ご縁があり、中田先生の歌曲を演奏する機会に多く恵まれました。
高田先生とは異なる、静かな厳しさがありました。「よく考えて!」...常にこの一言でした。レッスンでも、サインのメッセ−ジも。私はそれ以上余計なことを言わない先生を怖いと思いました。その一言の、重さ、深さにいつも震えました。