ソット・ヴォーチェ



ポルトガル紀行 U
6/1. バターリャ〜コインブラ

この日の訪問地は、世界遺産の「サンタマリア修道院」のあるバターリヤの町とヨーロッパ最古の大学都市コインブラです。
今日も、皆元気で朝食では慣れた調子で..「Bom dia ! 」が行き交いました。
3日目というのが信じられないほど私たちはポルトガルの空気に馴染み、メンバーの絆もだんだん強くなってきたように思いました。
ドライバーのドアルテさんも私たちの底知れぬ(?)ジャパニーズパワーに圧倒され、挨拶は「オハヨウゴザイマス」....大きなトランクとともに、いざ出発!
【バターリャ】
バターリャとはポルトガル語で「戦い」という意味。ここには、その戦いの勝利を示す巨大な修道院があるのです。
1385年.攻め入ってきたスペイン軍を、ジョアン一世率いるポルトガル軍が打ち破ったという歴史に残る戦いだったと伝えられています。
そのジョアン一世が聖母マリアに感謝を捧げるため、大修道院の建立に着手したのは1388年だったと言われています。
以来、この建設は16世紀初頭まで引き継がれ、壮大かつ華麗な修道院となり、ポルトガルのゴシック建築を代表する建築のひとつとして1983年に世界遺産に登録されました。

教会の内部には創設者のジョアン一世と王妃や、エンリケ航海王子.歴代の王達の棺がありました。
壮大な建築物は、ゴシック、マヌエル、ルネッサンスなど、それぞれの時代の様式が残っていて、いかに長い歴史を経て建設されて来たかが伺われました。
中でも、ジョアン一世の息子ドアルテ一世により建設が始まり、100年ほど工事を続けたが、ついに未完に終わったという「未完の礼拝堂」(天井が無い)が印象的でした。
また、無名戦士の墓が置かれている参事会室は、柱が1本も無く建設された当時は天井が落ちるのではないかと騒がれたそうです。
キリスト苦難の場面の16世紀のステンドグラスがとても美しかったことを憶えています。
*ここでは、タイミング良く、無名戦士を守る護衛兵交代のセレモニーを見ることができました。
  (修道院の中とは思えませんでした)

【コインブラ】

午後は、大学を中心に発展した文化都市「コインブラ」です。
昼食をこの町で摂ることになっていましたが、レストラン予約時間よりチョット早く到着した私たちは、しばしフリータイムをもらいました。
皆(特に女性)目が輝き、素早く近くのショップに吸い込まれていきました。
私は地元の楽器屋さんに入ってみたいと楽しみにしていましたが、しっかりと昼休み時間帯で、クローズになっており無念!ショーウィンドゥから、ファドギターを覗きました。
無事、昼食タイムに集合し腹ごしらえ。レストラン内部はアズレージョの装飾が美しく、涼やかさも演出していました。
このグループの食事タイムは、お料理とともに、会話のメニューも豊富で楽しみです!さてこの昼の話題は?...
(吉元一座は吉本興業なんかに負けません!)

コインブラは丘の上の大学を中心に広がる人口9万ほどの小さな町ですが、その中に、「サンタ・クルス修道院」「旧サンタ・クララ修道院」「新サンタ・クララ修道院」と3つも修道院がありました。
私たちは、イザベル王妃の棺が納められている「新サンタ・クララ修道院」を見学しました。
この修道院はモンデゴ川の洪水を避けるため17世紀〜18世紀にかけて高地に建てられたもので、併設して「軍事博物館」がありました。
ディニス王の妻であったイザベルは慈悲深い王妃として市民から愛されたといいます。
それを象徴するように修道院前には、コインブラの町を見下ろすようにしてイザベル王妃の像が立っていました。
(王妃はコインブラの守護聖人となりました) 私たちはここで記念写真を撮りました。
私が、同室のS女史がこの像の顔と似ていると言ったことから、今後、ずっと皆がS女史を“イザベル”と呼ぶことに...。
今、冷静に思い返してみると、丸顔ではありましたが、ホントに似ていたか?..定かではありません。彼女も呼ばれると「は〜い」と応えるのでまんざらでもなかったことでしょう。
「あまり厳粛なムードになれず、イザベル王妃様ごめんなさい!」と心で詫びて、いよいよ、モンテゴ川の向こうにある大学を目指しバスに乗りました。

多くの政治家や文化人を世に送ったコインブラ大学は、1290年.ディニス王によって創設され、ポルトガルの歴史の中で大きな役割を果たしてきました。
リスボンに移った時期もあったが1537年〜完全にコインブラに落ち着き、ヨーロッパでも有数の古い大学として知られているそうです。
学生は黒いマントに身を包み町中を練り歩き、そのマントの裾の切れ目が多いほどもてる証と言われています。
特に、*「ファド」のメンバーは花形であったと言います。5月の卒業生のお祭りでは、学部ごとに色の分かれたリボンを燃やし町中をパレードするのが伝統となっているそうです。私たちが行った頃は、お祭りの後で、木々にマントの残骸やリボンの切れはしが残っていました。何とも素敵な伝統です!
私たちはバスを降り、石畳の坂道を上りました。学生たちと大学へ続く道を歩むとき、自分も学生に戻ったように元気になってきました。
現在の大学は新しい部分と古い部分に分かれており、見所は歴史的建造物の旧大学の方です。
“無情の門”をくぐりぬけると広い中庭に出ました。中心に大学創設者ディニス王とジョアン三世の像が立ち、三方を古い建物が取り囲んでいます。
1724年に建てられたバロック様式の図書館は、内部装飾や調度品も素晴らしく、「図書館」とは思えない華麗なものでした。(私には宮廷の一室にも思えました。グランドピアノも備わり、コンサートも開かれるということでした)
蔵書は30万冊にも及び、300年も前の貴重な文献は、許可無しに触れることはできません。
本に虫が付かないように、屋根裏にコウモリを飼って(?)いて、虫を食べてもらっているとか...そんな訳で、永年、この蔵書が残っていたのです!
ため息をつきながら、隣の教会に進みました。大学に付属した礼拝堂で、今も使われているものです。小さくても、パイプオルガンもあり、厳かにたたずんでいました。
私たちを、歌うグループと認めてくれている現地ガイドさんが、なんと!!「歌ってみて下さい」と言ったのです。ここで、讃美歌でも合唱できれば良かったのでしょうが、日本人として、ご挨拶のつもりで ♪ うさぎおいし かの山〜と「ふるさと」を合唱しました。
教会は人間の声が良く響くようにできていますから、実力以上にかっこよく響いたはずです!?
他の見学者から拍手を頂き、心地良い思いを味わいました。これは、一つ目の嬉しいハプニングでした。
歴史ある礼拝堂で、無宗教の私たちに歌わせて下さったことに感謝しています。(ためらう人が一人も居ないのがこのグループの良さです。素直に生きるのが一番です!)

コインブラ大学で、つかの間の青春を謳歌し、私たちは学生達の通学路である、細く古い石畳を散策しながら、バスに向かいました。
途中、民芸品を見つけては立ち寄り、「ファド」のCDを目にしては立ち寄り...これほど自由なツァーは他に無いと思いました。
この日の二つ目のハプニングは、大学の帰り道をブラブラしたお陰で、素敵な男性トニー(勝手につけた呼び名)に出会ったことです!
旅立つ前に、SSさんが「コインブラには男性のファドがある」という情報を得ていましたが、現地のガイドさんは、どこで聴けるのか、詳しくなく、私たちの熱い思いがあまり伝わらない様子でした。
夜の予定を決める為、「ファドハウス」を探している時です...
何とラッキーと言うか奇遇と言うか?!素敵な男性が映画のシーンのように、私たちの前にオープンカーで登場しました。
彼は、小さな教会を買い取り改装した“ア・カペラ”という「ファド」の店のオーナーで、ギタリストでもありました。カッコ良すぎる設定ですが、ウソではありません!
英語、ポルトガル語、イタリア語、日本語...チャンポンで喚き、夜、彼の店でファドを聴くことを約束しました。
「どうする?」と相談も無く即決したことを、男性軍はあきれていたようです。(女はコワイ!)
さあ、そうと決まれば、思いっきりお洒落しなきゃ!!
みな、急いでホテルへ帰りシャワーを浴びました。約束通り、その夜は「ファド」初体験となりました。
コインブラで遭遇した二つの嬉しいハプニング...きっと守護聖人“イザベル王妃”のお陰かもしれません?..オブリガード!(明日はいよいよ列車でリスボンです。)

           *「ファド」の詳細は「音楽ゆかりの地をゆく」をご覧下さい。