音楽ゆかりの地をゆく



♪スロバキア“歌唱コンク−ル
 2005年.春、有り難いことに、スロバキア共和国のプレショフ大学より招待状を頂きました。前回の音楽交流で築いた信頼関係と、教授達との友情のお陰と思い、ためらうことなく渡欧することにしました。以前は、「日本の歌」を幅広く紹介し、テキスト作りの協力でもありましたが、今回は、音楽科主催の※「歌唱コンク−ル」で、日本の学生を一人、同行することに加え、ゲストとして私にも歌って欲しいという要望でした。

審査の対象外としても、教授達や審査員の前で歌うのは、やはりプレッシャ−がありますが、同行した学生(弟子)の心境を思うと、自分は各歌の世界に入り込めると信じ、彼女が畏縮せずに歌えることばかり祈っていました。このコンク−ルは、将来、音楽教師になる学生を対象に行うもので、「歌心、表現力のある教師になって欲しい」という目的から始まったと聞きましたが、参加してみてレベルの高さに驚きました。上位入賞の学生達は、教師というより、今すぐ声楽家としてステ−ジに立てるような歌唱力でした。
 出発前に、弟子には「貴女と同じように、音楽の先生を目指している人達のコンク−ルで、歌手になる訳では無いのだから、ていねいに好感の持てる歌い方をすればいいのよ..」と励ましていましたが、向こうの参加者の歌を聴いて驚いたようです。帰国後、私にくれた手紙には「当日は、無我夢中で歌いましたが、緊張のあまりどのように歌ったのか覚えていません...」とありました。もっともなことです。国内のコンク−ルでさえ歌ったことのない者が、21歳の年齢でいきなりヨ−ロッパで歌ったのです。しかも全員が歌うのを聴いた後です。震えが止まらなくて当然です!(自分のことを思い起こしても、この年齢で、海外では歌っていません。)でも、貴重な経験ができたのは確かです。プレショフで感じ取ったことを大切にし、素敵な音楽教師になってくれることを期待したいと思っています。私も、改めて「音楽教育」の深さ.高さ.広さをまざまざと見せつけられ、大いに刺激を受けました。根付いた歴史が異なるにしても、羨ましい限りです。学生であれ、そこには、声.技術以前に「音楽の流れ」(フレ−ジングのセンス)がありました。これは、日本人に欠けるものと常日頃、感じていたものです。叶うものなら学生に戻り、この国でもう一度、勉強したいと思った私でした。

※この歌唱コンク−ルの正式名:“MOYZESIANA 2005”(4月8日)
 MOYZES(モイゼス)はプレショフ出身の作曲家の名前で、作曲家.音楽教育者として、 スロバキア国民に広く知られ、尊敬されています。このコンク−ルは、スロバキア国  民の誇りでもある作曲家の名称のもとに開催され、形式は、課題曲として1曲 MOYZES の作品を歌うこと。他に自由曲2曲(それぞれの得意なもの..歌曲.オペラ.ミュ  −ジカル等)を歌います。午前中はソロの部.午後は合唱の部でした。
 因みに、長年、西洋音楽を学んできた私ですが“MOYZES”の名は初めてでした!
 我が国では、楽譜を目にすることはありませんし、音楽事典で調べてもその名を発見
 できませんでした。“世界は広い..我々が習ってきたことは如何に狭い範囲であった ことか!”この年齢にして(?)これを感じて帰ったことは、大きな収穫であったと思 います!(帰国し後に、帝国ホテルに於けるスロバキア大使主催のレセプションに、招 かれた折り、“MOYZESIANA”のコンク−ルに参加してきたことを伝えるだけで、敬意を 表して頂けたことを付け加えておきます)

   〈私達の演奏曲〉

Kaori.N: 磯部俶作曲 「はるかな友に」 
      中田喜直作曲 「さくら」 

Keiko.Y: 新井満 作曲 「千の風になって」
      服部正 作曲 「野の羊」
      滝廉太郎作曲 「荒城の月」

      ピアニスト:Yuri.K
                
 ★スロバキア(プレショフ)までの珍道中(?)は、「ソット・ヴォ−チェ」をご覧下さい。
  

      

              音楽科の教授たちと              審査員のマリアさん(スロバキア歌劇団のプリマドンナ)と

   

   最優秀賞受賞者と同行者とともに                     招待演奏