音楽ゆかりの地をゆく



チェコの音楽家を訪ねて@
音楽が流れ、文化が薫る、「百塔の町」プラハをついに訪れた。
中学時代の音楽の授業でスメタナの交響詩「わが祖国」や、ドヴォルジャ−クの「新世界」を習って以来、チェコ出身の作曲家に興味があった。
音楽を深く勉強する前の私にも、モ−ツァルトやベ−ト−ベン等の西側の作曲家の音楽とは異なる響きが感じられた。
後に知ったことだが、近隣の大国に支配されるという歴史が繰り返されたチェコ国民は、民族再生が念願であった。この民族運動が高まった19世紀後半のプラハに生きたスメタナは、民族独立を音楽の力で達成しようと様々な試練と闘ったのだった。
かつて、ドイツの支配下にあった時代、チェコ人でありながら、人々はドイツ語を強いられ、芝居やオペラの言葉さえドイツ語で上演しなければいけなかったのである...。
人々はチェコ語で演じられる国民劇場を夢に見、ついに現実のものにしたのだった。誰よりも母国を愛したそのスメタナ音楽の集大成が「わが祖国」であり、チェコ音楽の象徴となったこの作品が、国民劇場にて毎年、スメタナの命日(5/12)から催される”プラハの春音楽祭”の開幕曲として演奏され続けていることを知ると、「チェコ国民音楽の父」と称えられているのも肯ける。
「わが祖国」はチェコの美しい自然とチェコ伝説が融合し、さらに民族の誇りや願いが詰まっていたのだ!
中学生の私の心にその響きが、ずっしりと残った訳が解ったような気がした。(この交響詩の第二曲目.モルダウは特に知られているが、「モルダウ」はドイツ語で、チェコの人々は「ブルタバ」と呼ぶ。心のふるさとでもある自国を流れる川を、他国の言葉で呼ばなければならなかったところにも、チェコの歴史の悲劇を感じる!)
ブルタバ川の側、柳の木の下に座るスメタナ像に「闘いを経てチェコに...いいえ、世界に素晴らしい音楽をありがとう!」と伝えた。“プラハの春音楽祭”の開幕の日は、国の主要人物や世界各国からのスメタナファンが集まり、チケットの入手が困難というが、一度は国民劇場でチェコの音を聞いてみたいと思った。 
*ベ−ト−ベンが、かの「第九」を初演し、指揮をした時、すでに聴覚を失っていたという話は有名だが、スメタナも「わが祖国」を作曲している時から、聴覚を失っていたという。-小雨にけむる10月.東欧の秋は早い.街灯もブルタバの流れも物悲しく見えた日だった−

    

スメタナ像                           ブルタバ川沿いに立つ国民劇場