ソット・ヴォーチェ



民族舞踊団シャリシャン来日!A
@では、いきなり「シャリシャン」のことから始めてしまいましたが、スロバキアについて少し触れておきます。
かつて、学校でチェコスロバキアと習ったので、まだそのように認識している人が多いと思いますが、1993年に「チェコ」と「スロバキア」が分かれ、それぞれ独立国になったのです。私も、恥ずかしながら2001年にスロバキアへ行くことになり、詳細を知った次第です。ちょうど2003年はスロバキア建国10周年でもあり、その記念すべき年に民族舞踊団が来日した訳です。
この「シャリシャン」は毎年世界各地で公演し、国際民族舞踊祭で、最高賞をもらうほどの実力です。
さて、奈良公演を終えた夜(5/5)の団員達は、夜明けまで歌ったり、ゲ−ムに興じたようで、流石に、朝食の時は眠そうで、いつもの賑やかさは何処へやらという感じでした。
宿舎は、モダンなホテルでも無く、純日本風の旅館でも無く、公営の研修施設のような所でした。(もちろん男女別々)よくある「青年の家」みたいな所を想像してみて下さい。畳に敷いた寝具を、規定どおりに押入れに収納しなければいけないところで、きちんと元通りの部屋になっているか、点検される所なのです。
さあ大変!ベッドの生活をしている彼らには、難しい作業で、押し入れに収めればそれでいいと思って、布団の畳み方などいい加減なのです。(日本人だって、そんなことどうでもいいと思う人が多い筈ですが、この種類の宿舎は、規定どおりにすることを教育しているのです)無理やり押し入れに押し込み、もう外で歌っている男の子もいます。女の子達は、何とか、書いてあるように収めようと努力するのですが、宿舎のおばさんに何度も、やり直しをされる状況。
私だって、ふだんいい加減なのですが、ここは、各部屋を回り、片言のスロバキア語とブロ−クン英語を駆使して監督です!
観光バスが待っているのに、中々、帰してもらえず苦心しました。後で知ったことですが、日本で色々なタイプの所に宿泊させたかったのだそうです。ホテルも旅館もホ−ムステイも体験したということでした。
それにしても、最後の奈良が、全てセルフサ−ビスは酷でした。皆、エネルギ−を出し切ってしまったようですから...。宿舎のおばさんも前夜の愛嬌はどこへ行ってしまったのか?「外国の皆さんには、ここは無理ですよ!最近は、日本の学生さんも規定どおりできませんから。ホテルは取れなかったんですか?!」
女性の部屋で日本語が通じるのは私だけ...思い切り、私に強い口調で迫るのです。ただただ、「どうもすみません!」を連発する私。言葉の解らない女の子達は、あっけらかんと、すまして鏡を見て、お化粧でした。(私は、これから始まる皆との観光が不安になりました。)

         ”いざ、修学旅行!”(5/6)

やっとの思いで、宿舎を脱出。いよいよバスに乗り込み、大和路の観光です。きっと朝のバスは皆、眠りの世界かと想っていたら、何と、ウオッカが車内を回り始め、元気に歌が始まりました。
十代の学生から、教授まで皆、元気一杯のシャリシャンメンバ−。このエネルギ−はウオッカとワインなのでしょうか?!
みんな、強くて、ちっとも酔わないのです。バスが動いている間、歌は途切れません。舞台もバスの中も同じように、音楽を楽しむ彼らは、ほんとに純粋です。
ふと、音大時代の行脚を思い出しました。あの頃の自分も純粋に、歌うことが楽しかったものです。明日のことなど考えず、今日の日を思い切り謳歌した青春...。スロバキアの若者達は、私に、忘れかけていた大切なものを思い起させてくれました。
この日は、私も学生になろうと決めました!
最初は、室生寺(女人高野)に降りました。私も初めて訪れたので、皆とともに物珍し顔で参拝し、新緑の中にそびえる五重の塔の美しさに感動しました。帰り道、私からのおみやげとして、全員にここのお守りをプレゼントしました。(男性は青、女性にはピンク)
昼食後はいよいよ、東大寺大仏殿です。大仏の巨大さに、東欧の人達は、想像以上に驚き感銘を受けたようでした。はっきり言って、古いお寺巡りは、みな同じように見え、多少、退屈そうな表情でしたが、やはり大仏はインパクトがあります。みんな、目が輝き、カメラのシャッタ−を押し続けていたところ、全国から訪れている修学旅行の中学生達が、賑やかなシャリシャンの団員のところに集まり出し、大仏様そっちのけで、西洋人の団体にカメラを向けるのには、閉口しました。普段は民族衣装なんか着ていませんが、舞台に立つために選ばれた、美男美女達で、どこでも目立ちますから無理もありません。
面白いことに、青い目だと皆、英語が通じると思い、覚えたての英語で話しかけてくる中学生が多く、団員達は苦笑いです。私は側で、「スロバキア人なので、英語は通じないのよ」と説明する役になってしまいました。
記念写真も何組にもせがまれ、「後で、写真を送ります」と皆、手を振っていくのですが、住所を尋ねる子が居ないのは不思議です!
さて、ここまでは、団体行動だったので、私も学生同様、気が楽でしたが、奈良公園、市内観光は自由行動となりました。平均年齢25歳位の団員達ですが、日本語、英語(引率の教授は解りますが)が解らないのですから心配です。
ショッピングに興味がある、女の子を数人ずつグル−プ分けし、奈良の世話役の方と日本スロバキア協会の女性と、私がそれぞれ責任者になり動くことになりました。
先生達(楽師メンバ−は、先生が多い)は、通訳の石川先生と行動し、海苔やひじき等を買い込んだそうです。
大変なのは、私です。奈良の都に来ていながら、土地の物には興味は無く、若い子たちは、スニ−カ−やTシャツを見たいと言います。奈良市のショッピング街は、私だって初めてです。自分より大きな団員達を従え、ゾロゾロ、ウロウロで冷や汗をかきました。そして、最終的には、集合時間まで、大きなダイソ−(100円ショップ)に入ってもらい、「この中から出ないように!」と告げ、我々責任者はやっと、椅子とお茶にありつけたのでした。全員が無事バスに乗った時はほんとに安心しました。
100円ショップは好評で、みな様々な物を買い込んでおり、驚いてしまいました。奈良まで来て、ダイソ−なんて...と気にはしていたのですが、結構、和紙の小物や民芸品をみつけ、家族にお土産だと言うのです。物価の高い日本に驚いていた彼らも、ダイソ−では充分、買い物ができたようでした。おもいおもいのお土産を広げ、自慢し合いながら、バスは、夕食の予約をしてあるホテルへ。形式はバイキングです。食欲旺盛な団員達には、これが一番です。食事の前に歌い、食後に歌い、帰りには、レストランのお世話をして下さった皆さんに、感謝の歌を...。バスに帰り、ここで新幹線で帰ってしまう、スロバキア協会の方との感謝とお別れのセレモニ−。また歌います!
ミュ−ジカルの中で演じているように、歌、うた、ウタ。楽しいひとときでした。