ソット・ヴォーチェ



民族舞踊団シャリシャン来日!B
女性の世話役が一人帰ってしまい、不安でしたが、もう、東京に向かうだけなので、バスに乗ったら、眠るつもりでした。それが、何と、最後の大イベントが待っていたのです!
日本の銭湯を経験してもらうのだそうです。奈良側の主催者がそこまで計画していたのです。「いいことじゃない。きっと、いい思い出ができるわ」なんて悠長に話していたら、「女性の引率は吉元さんにお願いします。」と石川先生が言いました。「エッ!バスで待っているんじゃないですか?」「男性には、私や、教授がいますが、女性の責任者がいません。私が女風呂に入るわけにいきませんでしょう?」
...ああ何てことになったのでしょう。きっと、この係りの為に協力を要請されたに違いない!なんて思ってしまいました。仕方なく観念し、中に入りました。
街の銭湯ではなく、色々な種類を備えた、ス−パ−銭湯です。まずは、下駄箱の使い方から..そして、男女が別れ、脱衣所へ。
10人もの西洋人。しかもダンサ−ですから、平均身長165.スタイル抜群で美しい!他のお客はもちろん、従業員まで遠慮なく見に来るのです。衣服を脱ぐことができません。
シャワ−を、個室で済ませる彼女達、温泉は水着を着けて入る国民です。仲間同士でも恥ずかしそうにしているのに、おばさんたちがジロジロ見るのですから、脱衣所から動けないでいます。
スロバキア語が堪能ならいいのですが、私の言葉はあやしいので、行動で示すのが一番と判断。率先して裸に...。一人一人、肩をたたき急がせ、やっと浴場へ連れ出したのですが、今度は、タオルを体に巻いて離さず、そのまま湯船に入るのです。
タオルは入れないように!と書いてあるので、それも伝えなくてはいけません。慣れてくると、広いお風呂では泳いでみたくなる子もいます。一糸まとわず、あちこち奮闘したのは初めてです。もちろん今後も有り得ないと思います。
彼女達にとって、この体験が良かったのかは疑問です。私はできれば思い出したくない出来事です!ス−パ−銭湯を出た一同はさすがに皆、眠りました。
バスはひたすら東京(成田)に向かい夜通し、走ります。なが-い5/6の日は、やっと終了するようです。私は車窓から、大和の灯りをみつめながら深い眠りにつきました。 
5/7.早朝、サ−ビスエリアのトイレタイムで、みな起き出し、新しい一日が始まりました。熟睡した若い団員達は元気いっぱいですが、先生達や私は、窮屈なバスで体中が痛く、年を感じました。(バスの補助椅子も使用する程の団体でした)大量の荷物の運搬を考え、少しでも早く空港に着けるように、朝食は成田まで我慢することにしました。
バスの後ろから歌声が聞こえ始め、次々、皆が続き、たちまち合唱になりました。こんな時、必ず、教授達も参加します。時には指揮をしたり..。みんな家族のようで、共に行動できて温かい気持ちになりました。
残り少ない日本での時間、団員達は日本語の歌(さくら、荒城の月)を歌い始めました。2週間の滞在中にずいぶん自然な発音になり、上手でした。
共に合唱し、胸が熱くなりました。楽しかったシャリシャンとの時間はコンサ−トの幕が下りるように、終わろうとしています。空港に到着しても、このまま、バスから降りたくない私でした。
別れ際、例のセレモニ−です。これまで、お世話になった町々で、感謝のセレモニ−をしてきた団員達も、いよいよ日本とのお別れでもある、この日は感傷的です。一人一人、抱擁し、「アリガトウ、サヨナラ」と言ってくれました。
私は、スロバキアの民芸品とライブのCDを頂きました。こちらこそ「ジャクイエム!(ありがとう)」..。大勢の人がいる空港内で、最後の合唱が始まりました。「おお牧場は緑」を、日本語と原語で歌いましたが、こみ上げるものがあり、声になりませんでした。
歌手のカテリ−ナには「喉を大事にしてね。次はスロバキアで会いましょう」と伝え、自分の首に巻いていたミニスカ−フを結んであげました。つかの間でも、シャリシャンの中で青春を味わうことができました。音楽に国境がないことを全身で感じさせてもらいました。
皆さん、ありがとう!お誘い下さった、石川先生、銭湯は嫌でしたが、やっぱり同行させて頂き感謝いたします!
「ド・ヴィジェ−ニア!!」(さようなら)東京への電車は、現実へ向かう電車でもありました。 
 *シャリシャンとはシャリシュ人を意味します。シャリシュ地方の人のことで、この地方は、スロバキアの東北部に位置し、プレショフはこの地方の中心都市です。

(シャリシャンの団長と団員達は、5月7日帰国しましたが、プレショフ大学の教授お二人は、研修、講義等のため、残られました。後日、母校の音大をご案内したり、カチュ−シャで演奏もして頂きました。その模様は改めて掲載する予定です。)