ソット・ヴォーチェ



高田三郎先生の思い出A
先生は、本音で生きていました。「建て前」というものを使えるようになったら大人..?そんな大人ならならなくてもいい!と叱られた時がありました。
レッスン日を決める時です。「先生のご都合の良い日に合わせますので、歌の仕上がりを聴いて頂きたいのですが...」「貴女にも都合があるだろう?できない日もあるだろう?何故、本音を言わない?!」
それまで、目上の人達には、自分の都合など言えませんでした。ましてや、大作曲家の先生には、時間をとって頂けるだけで、感謝しなければ..と思っていましたので、そこで何も言えなくなってしまいました。
その後、先生は静かに言葉を続けました。「一緒に音楽を作るのだから、対等なんだ。私の都合の悪い日は、伝えよう..貴女もはっきり言いなさい。無理して合わせてもらっても、心のどこかで、困った..なんて思われていたら、不愉快だ!」...涙がこぼれて仕方がありませんでした。その日から私も、本音で生きようと思いました。
ある日のレッスン日。また、しっかり胸に刻んだ言葉があります。
「長い人生を生きてきて、素敵だと思える女性は、たった二人..声楽家の柳兼子、詩人の深尾須磨子だ。 クララ.シュ−マンのように、女性として、妻として、母としての立場を守り、一流の芸術家であった!」 この日、私に伝えたかったことは、上手くできない時、言い訳をするな!ということだった。「家庭の事情で練習できなかった?..それなら、家庭か、歌か、どちらかを止めるんだね!」
今、先生の厳しい言葉のおかげで、歌い続けている私です。柳先生、深尾須磨子さんの足もとにも及びませんが...。