ソット・ヴォーチェ



高田三郎先生の思い出 B

 先生のレッスンは、厳しいので有名です。作曲のお弟子さん達に対する厳しさは、計り知れませんが、演奏者に対しては、しっかり曲を解釈して行かないと、頭や肩など容赦なく叩かれます! 
先生はピアニストの隣に座りますから、近くの伴奏者は災難です。 歌う私は、離れた所に立っていますから、助かっていました。それでも、「止めてしまえ!」と本が飛んで来たこともありました。
「楽譜の表面には見えないものを、分析し、考えて、表現出来ない者は、私のレッスンに来る必要は無い!書いてあることを、やっているかいないか位のレベルなら、誰でもできる..」これが口癖でした。 もっともなことです。始めは怖くて敷居が高かった私ですが、先生の曲に対する愛情を理解すると、レッスンも楽しくなりました。どれも、難産の末、生まれた愛おしい子供達..それが作曲家達の曲に対する思いであることを知りました。それまで、いかに、ぼんやりと歌っていたことでしょう!作った人の思いまで、考えが及ばなかった私でした。
器楽とは違い、歌は、言葉があります。「作詩者のことも考えたか?歌う者は楽器の2倍、勉強しなくてはいけない。」..音大時代に、ここまで言ってくれる人はいませんでした。そして、伴奏者にも、厳しい一言を。「ソロではない。器楽のアンサンブルでもない。歌い手と一緒に歌えないといけない。詩を読んだか?」
以上のこと、頭では解っているのです。でも、学生の立場でなくなった時、それを今さらのように、面と向かって言われた時、大事な基本的なことを怠っていた自分たちに腹が立ち、情けなくて涙しました。 今、このようなことを言ってくれる先生がいません。
高田先生のお宅でのレッスンは私の財産です。
どんなに厳しいレッスンでも、終わってからのティ−タイムの楽しかったこと!
レッスン時とは、別人のような笑顔の先生が、面白い話をして下さいました。
−ある日の収穫?−
「作曲家仲間の間で、女声合唱ばかり書くヤツを、婦人科。児童合唱を書くのを、小児科..こんな呼び方をしているんだ」とおっしゃいました。私が、「混声合唱は?」と尋ねると、「全部だから、内科。私は何科と呼ばれていると思う?」「...ウ−ン..先生の曲は難解ですから、精神科ですか?」「ああ、近い!仲間たちは、神経科と呼ぶんだよ」...音楽に厳しく、謙虚に立ち向かっていらっしゃる先生と、子供のように純真な先生を交互に見た私でした。