音楽ゆかりの地をゆく



童謡「とうりゃんせ」発祥の地
 2005年6月5日.ホ−ムスティをしていたDIEGO(ジェゴ)とともに、小江戸と呼ばれている川越の町を散策しました。
これまで、川越大師、菓子屋横町、蔵造り通り等は行ったことはありましたが、この度は、ホストマザ−として、日本の良さをじっくり味わってもらおうと、名所を巡ってくれるバスに乗ることにしました。
川越城址や博物館まで足を伸ばしたお陰で、偶然、“音楽ゆかりの地”に到着してしまいました。

日本人なら、だれでも口ずさんだことがあると思われる「とうりゃんせ」の碑が、川越城内にある三芳野神社の前にあったのです!
この「三芳野神社」の説明を読むと..

寛永元年(1624)時の城主.酒井忠勝によって再建された。優美な権現造りの社殿は名前の由来となった「三芳野天神縁起絵巻」とともに川越市の指定文化財になっている。
川越城内にあったため一般の人の参詣は難しく「とうりゃんせ」はその様子が歌われたと伝われている。
  ♪とおりゃんせとおりゃんせ 
    ここはどこのほそみちじゃ 
    てんじんさまのほそみちじゃ 
    ちょっととおしてくだしゃんせ 
    ごようのないものとおしゃせぬ 
    このこのななつのおいわいに おふだをおさめにまいります 
    いきはよいよいかえりはこわい 
    こわいながらも とおりゃんせとおりゃんせ♪

さて、ここで川越にある「三芳野神社」が、この歌の発祥の地.と紹介し、素直に終えたかったのですが、実は、童謡についてのル−ツの資料や、楽譜のコメント等で、全く異なる「とうりゃんせ説」を見たことがあり、気になっていますので、紹介しておきます。

【その一】

江戸時代以前に子供達の間から発生している「わらべうた」の場合、不確かなまま後世に引き継がれている。
元はと言えば、箱根などの関所で行われていた江戸時代の取り締まりのやり方を、子供達が真似事をするようになった..という“関所ごっこの歌”が有力な仮説。

【その二】

七歳のお祝いに天神様をお詣りする歌で、七歳になる前の子供は神の領域にいるらしく、不安定であった子供の魂は、七歳になって安定し、この世に定着すると考えられていたという。
七歳で*天神様にお詣りをして「今までは神様が守ってくれたけれど、これからは自分の力で災厄を払いのけなさいよ」と天神様から教わるのだという..。
だから「いきはよいよい 帰りはこわい..」となると。

 *天神様とは、「菅原道真」のことを言う.ともある。
   ..とすれば、太宰府をはじめ、 日本国中に天神様(天満宮)が在ります。
  「ウチこそ発祥地!」とあちこちから聞こえ てきそうな気がしませんか?

♪ 私としては、あまり深く考えず“自分の行ってきた地”を思い描き、歌いたいと思っています。
  きっと、三芳野神社とともにジェゴとの思い出が、いつまでも残るにちがいありません!
  (“有力な説”という『関所ごっこの歌』は、アバウト過ぎて、個人的には、どうも?...です)