音楽ゆかりの地をゆく



蝶々夫人
 オペラに興味がある人ばかりでは無く、このタイトルは多くの人達が知っていると思います。長崎を舞台に、周囲の反対を押し切って、アメリカの海軍士官と結婚する蝶々さんのお話です。同名の小説を基に、プッチ−ニ(イタリア)がオペラ化し、世界中に知られましたが、かりそめの愛の後、日本女性が捨てられるという結末を、私は快く思っていません。西洋人から見ると、ひたすら夫を信じて待ち続ける東洋の女性が神秘的で、美しく見えるようで、どんどん美化され、最後は自害して果てるというスト−リ−になっています。いかにもメロドラマというその内容は演劇や映画にもなりましたが、それは見たくない私でした。オペラは、それぞれのシ−ンの音楽やアリアが素晴らしく、プッチ−ニが芸術として高いものに仕上げてあるので、感動できます。
 ソプラノなら歌ってみたい蝶々夫人の有名なアリア「ある晴れた日に」..これを歌う時は、子供の手を引き海の方を指さして歌います。この情景が銅像になっているというので、かつて長崎のグラバ−邸を訪れました。それから、20年後、その蝶々さん親子に再会に行きましたが、周りはだいぶ変わっていました。以前は居なかった、作曲家プッチ−ニもいるではありませんか!(イタリアの作曲家と長崎で逢えるとは!)
 蝶々さんゆかりの地で「マダム・バタフライコンテスト」を開催した折、記念に作ったようですが、それも数回で、いつの間にかコンテストは無くなりました。

ここの蝶々夫人は、日本の代表的プリマドンナ、三浦環がモデルになっていますので、小柄で小説のモデルそのものです。
プッチ−ニがオペラを世に出した頃は(1904年初演)まだ、日本人はオペラなど歌えませんでしたから、この東洋の女性役も西洋人が似合わない着物を着て歌っていました。しかも、オペラ歌手ですから、スゴ−イ体格のオバサンです!三浦環が蝶々さんで世界の舞台を踏んだ時、「この蝶々さんをプッチ−ニに見せてあげたかった!」と言われたそうです。
 今、スマ−トで十代らしい、理想の蝶々さんの側に立ち、プッチ−ニは幸せかもしれません!