音楽ゆかりの地をゆく



♪ウィ−ン我が夢の街♪@
【プロロ−グ】
2005年4月.3度目のウィ−ンに降り立ちました。
幼い頃から憧れた「音楽の都」..または、「芸術の都」と形容する人もいます。音楽史に名を連ねている音楽家たちもまた、あこがれた“ウィ−ン” かつて、モ−ツアルトが憧れた18世紀から、21世紀を迎えた今もなお変わらぬ町並みは、馬車がゆうゆうと走っていても違和感がありません。
これまで文字に表すことをためらい、引き延ばしてきた“ウィ−ン”..。3度目の正直で、記すことにしました。
その名を聞いただけで胸がキュンとなってしまうのは、一体何なのでしょう?自分でも分析できませんが、心に大切にしておきたい“聖地”なのは確かです。
初めてウィ−ンを訪れた時のガイドは、音楽(作曲)の勉強をしながら、観光ガイドのアルバイトをしている方でした。同じ音楽に携わる者には、通じ合うものが有り、ガイドブックでは得られない事柄を教えて頂き感謝しました。
今も忘れられない、マイクロバス内の出来事があります。、彼は、ドイツ語で書かれた“シュ−マン”の若き日の日記の一部を、訳して読んでくれたのです。
「とうとう、この地を踏んだ。どれだけ憧れ、夢にみたことか。モ−ツァルトもベ−ト−ヴェンも、この空気を吸い、あのシュテファン聖堂の鐘の音を聴いたのだ。彼らが歩いたであろう、シェ−ンブルン宮殿に続く道も、ドナウに続く道も、私は歩いている!..」
私は涙が溢れました。現在ではロマン派の大作曲家として音楽史に名を連ねているあの“シュ−マン”の若き日..純粋にウィ−ンを称え、その地で尊敬する諸先輩たちに続こうとする志に感動しました。
私もまた、大音楽家達が愛し、数々の名曲を育んだ街に立つ時、シュ−マンに負けない程、胸がいっぱいになると思っています。「これと同じ思いだから、ウィ−ンから離れられずに居ます」..と朗読後、彼はニコニコして言いました。
ウィ−ンを“聖地”と感じて生きている人と出会えたことが嬉しく、心弾む旅だったことを今も覚えています。
 
 【第一場...心のふるさと】
日本を発つとき、関東地方は既にお花見の頃。だいぶ温かくなっていましたが、4月初旬のウィ−ンは、寒さが残り夜ともなれば上着が必要でした。
それでも到着した夜は、旧市街に出ました。アナナスホテルから国立歌劇場前までは地下鉄ですぐです。
そこに着けば、大好きな場所には自由に歩けます。もちろん目指すはケルントナ−通りをまっすぐに歩き、“シュテファン大聖堂”です!
この教会で、モ−ツアルトは1782年8月、コンスタンツェと結婚式を挙げ、その僅か9年後の1791年、この大聖堂の片隅で葬儀が挙げられたことでも知られています。
私にとっては♪「ウィ−ン我が夢の街」の歌詞に登場する心のふるさと“Stephansdom”です。
138メ−トルの高いゴシック様式の塔の下には黄と青の幾何学模様の屋根瓦が美しく、昼は多少くすんで見えますが、夜、照明を浴びると、大聖堂の急勾配の屋根の色調と、その大きさに息をのまずにはいられません。
 常に人々が溢れているこの周辺ですが、その夜は特に聖堂に入る人が多いと思いました。(奇しくも、数日前にロ−マ法王が亡くなり、ヨ−ロッパ中のカトリック信者が嘆き悲しんでいた時期に私達は、ウィ−ンに到着したのです。
私は、21世紀という歴史の真っ只中に在ることを感じながら宗教、人種を乗り越え、パウロ二世の写真の前で、ロウソクを点し、ご冥福を祈りました。)

 【第二場...楽聖達との再会】
「一度、行ったからパス」とか「以前、写真も撮ったし、絵葉書もあるから、もう行かなくてもいいわ」等という人たちが多いことを感じていますが、私は、ウィ−ンを訪れたら、友人宅に立ち寄るように、楽聖達の銅像に会わずにはいられません。
まずは、王宮庭園に立つモ−ツァルト像。その前の芝生の上には、ト音記号の形で赤い花が植えられている、かの有名なロケ−ションです。
いつ訪れても、花の手入れが行き届いており、世界中からの観光客を毅然と迎えてくれます。
この度は、早朝訪れたお陰で、他に観光客の姿が無く、正面からしかみたことが無かった銅像を、一回りし細部まで見ることができました。
裏側には、幼き日のモ−ツァルトや、楽譜等も刻まれていることも判り、じっくりと天才音楽家と対話できたようで、幸せなひとときでした。。

ここから市立公園までは10分もかかりません。
この公園には、再会したい音楽家達が4人も居ます。
以前、「またね!」と言って帰国したからには、立ち寄らない訳にはいきません。ウィ−ンの誇りである“ヨハン・シュトラウス二世”“ブルックナ−”ドイツ出身ではあるがウィ−ンで活躍した“ベ−ト−ヴェン”“シュ−ベルト”.みな同じ場所で、同じ若さで、待っていてくれました。
「偉大なる楽聖の面々に再会し、また暫く音楽を続けて行く力を頂いたようです。ダンケシェ−ン!」..私は心でそう叫んでいました。

 【第三場...クライマックスへの序奏】
“マリア・テレジアン”イエロ−に染め上げられた夏の離宮「シェ−ンブルン宮殿」。その威厳を備えたエレガントさは、私の持つ乏しい言葉では言い尽くせません。
日中は、絶えることなく全世界から観光客がやってくる超人気スポットです。
ゴ−ジャスな宮殿内の部屋巡りも庭園散策も全て、今回は“宮殿コンサ−ト”への序奏のように、私の胸のときめきは、その夜に向かい“poco a poco crescendo”しているようでした。
通常、“オランヂェリ−コンサ−ト”と呼ばれて居り、宮殿外のオレンジの温室で開催されているコンサ−トですが、何と、幸運なことに私達が予約した日のコンサ−トは、宮殿内の「白金の間」(Grosenn Galerie)でした!
文字通りの“宮殿コンサ−ト”という訳です。昼の宮殿と夜の宮殿の空気を同じ日に吸えるなんて!皇女エリザベ−トにでもなったような、美しい一日を過ごせました。
 ★急な頼みにもかかわらず、この夜のチケットを確保するために奔走してくれたトニ−に感謝!!(トニ−は、オペラハウス前でモ−ツァルトの衣装を着て、他のコンサ−トのPRをしていますが、仕事着に着替える前の早朝“シェ−ンブルンコンサ−ト”!とせがむ大和撫子?の為に、知人達に携帯電話で問い合わせてくれたのです。)