音楽ゆかりの地をゆく



二つの顔を持つザルツブルク@
古くからザルツ(塩)の産地として知られたザルツブルク(オ−ストリア)は、ドイツとフランスを結ぶ街道に栄えた町です。イタリアのバロック様式の寺院が多く、昔の人たちは「北のロ−マ」と呼びました。現代において、この町が世界中の人々に愛されているのは“天才作曲家、モ−ツァルトが生まれた町だから”なのは確かです。
モ−ツァルトの生家、住んだ家があり、記念博物館として見学することができます。1842年から開催された「ザルツブルク音楽祭」は、今もなお続き、モ−ツァルトを愛する人々(クラッシック音楽愛好者と言ってもいいかもしれません)にとっての“聖地”のような町がザルツブルクです。町中がモ−ツァルトづくし..カフェ、おみやげ、コンサ−トホ−ルの出し物等、モ−ツァルトゆかりのものばかりです。
現代のこの町の人々はモ−ツァルトに感謝しなければいけないでしょう!観光産業で活気付いているのは、モ−ツァルトがこの町で生まれたことによりますから。
皮肉なことに、今、世界中から賛美される音楽都市ザルツブルクを、モ−ツァルトは気に入っていませんでした。彼は父親と大司教に反発し、25歳の時この町と訣別しました。信頼していた神父に宛てたモ−ツァルトの手紙を紹介します。

 親友のあなたはご存じでしょうが、いかにザルツブルクがぼくにとって嫌悪すべきところか!...ザルツブルクはぼくの才能に向いた場所ではありません!第一に、音楽家たちが少しも尊重されていないし、第二に、何も聴くものがありません。劇場もなければオペラもありません!..実際に演奏しようと思っても、いったい誰がそれを歌うのでしょう?(1778年8月7日、パリにて)

以上のように、当時の音楽家にとっては“音楽都市”どころか、「音楽家たちが尊重されない町」で、己を磨くところはパリやウィ−ンでした。
町としての美しさについて、冷静に考えてみると...(モ−ツァルトを抜きにして眺めたら?)山の上から陰鬱な中世の砦が町をにらみつけているようです。泥色の大きな川が風情もなく流れています。旧市街は教会だらけで、しかも見るべき壁画や彫刻があるわけではないのです。そして、この町の名物は、“よく降る雨”です。モ−ツァルトにも音楽にも興味が無い人間から見たら、全く魅力の無い町にちがいありません。
ザルツブルクは「モ−ツァルトの音楽」という光を当てた時、初めて美しく輝くのだと思いました。町が追放した天才が、今、その町の守護神のようになっています。半端では無い、この町のモ−ツァルト一色の空気は、他に例を見ません。おそらく、多くの人々が感じるのでしょうが、この町にとどまり、空気を吸うだけで、自分の音楽に栄養を与えてもらったような気持ちになるのが不思議でなりません!
最近、モ−ツァルトの曲を歌った折も、「ザルツブルク詣りをしたのだから、きっとアマデウスが守ってくれる!」と感じ安心して歌えたのです。まさに宗教の世界ですね!?

      

      モーツァルトの生家