以前から行ってみたいと思っていた紅茶の国、スリランカの紅茶畑。

夢が実現しました。
1/26日〜2/1日の約一週間の駆け足の旅となりました。

”インドがマンゴを落とした”・・・・といわれるスリランカ。
主に、南西モンス−ン期と北東モンス−ン期があり、中部に属する茶畑は、日本の冬にあたる頃が雨もなく、美味しいお茶が取れる時期。

訪れたのは、Kandy(キャンディ)、Nuwara Eliya(ヌワラエリヤ), Haputale(ハプタレ-)、Looleconera(ル−コンデラ)、その他紅茶工場。

最初はSQでシンガポ-ルに行き、それからコロンボと考えていたけれど、トランジットが6時間近くかかり、結局、伊丹〜成田はLALで行き、成田〜コロンボはスリランカ航空にしました。

まぁ、成田では約4時間くらいの待ちはあるのですが、それくらいは何とかOKとしました。


☆Day 1(1/26日)

いよいよ出発の日です。
伊丹空港8時発のJAL3002。
それでも4時過ぎに起きで、5時20分MKさんの車でいざ伊丹空港へ。

チェックインし、朝食を空港のカフェでとり、飛行機に乗り込む。
15分遅れの飛行機は、なんとなんと、空調システムの何とかの整備に時間がかかり、2時間もの間席に座ったまま、2時間遅れでようやく成田に向かい、take off です。

4時間もの間、どうして時間を潰そうかと考えていたのだけど、何の事はない、いそいそと UL455、13:15分発コロンボ行きに乗り込む。
他の国への乗継の人は、大変だった事でしょう。
今回のフライト時間は、私の誤算もあり(時差をわすれていた)で、9時間半になる。
長〜〜い!

それでも機内は意外にも空いており、多少ゆっとりした気分。
しかし、後半から頭痛、風邪気味の症状で、旅の不安を感じる。

そんな中、機内食を食べ、日本の映画を2本見、ようやく現地時間19:40分
(日本時間、午後11:10分)、コロンボバンダ−ラナ−ラ国際空港に到着。

紅茶


        
(美味しく頂きました)

あまり期待をされるといけないので(?)現地ガイドには、60代と伝えてある。

多くの迎えの中、きょろきょしていると、ガイドのDiasさんが現れ、歓迎の意味か固い握手をされ、レイをかけてもらい、空港の近所の安めのホテルへ車でGo~.

☆Day 2(1/27日)

夜中のすごい物音であまり寝られず、寝不足の朝を迎える。
しかし、気分は既にハイ、元気で旅が出来そう。

空

(ホテルの前の風景)

ホテルのボ−イが7時半にノック。
朝食のコンチネンタルの中身を聞きにくる。
しかし、待つこと30分以上でようやく朝食。オムレツを頼んだけど、ただの平に焼いた卵。
郷に入れば郷に入る・・・・でこれもOKのうち。何故か客は私だけ。

8:00過ぎだったと思う。ガイドさんの車にのり、いざKandyへ。

Kandy迄は車で約3時間余り。
ガイドさんは運転手を兼ね、私は助手席へ。
途中”カシュナッツ”売りの人が道路に立っており、購入。この地でよく採れるそうな。

カシュナッツ売り

そして、次はココナツジュ-スを買う。
ココナツジュ−スを飲むのは、シンガポ-ル時代以来。20年ぶりかも?

ココナツ売り
ココナツ売りのおじさんと

途中、Mlesnaへ立ち寄り、お茶を頂く。
美味しいです。

紅茶


本日のメインは、Kandy の町の近くのPeradeniya(ペラデニヤ)から電車に乗り、Nonuoya(ナヌオヤ)迄行く約3時間の、通称"紅茶列車"の旅。

雑誌では、この電車からの紅茶畑の風景が紹介されており、絶対乗りたいと事前に希望を出していた。
少し早い目に着いたので、暫くの間電車を待つ。私が乗る電車は12:30分。
外人観光客の姿も見える。

ペラデニヤ駅
ペラデニヤ駅
電車が来ました。

ペラデニヤ駅の電車

この電車、観光客用の車両が一つで、後は一般の客用。
一般と何が違うかというと、エアコン、ランチ&紅茶付で値段も高めのところ。

少し走ると、ランチです。

ランチ
シンプルだけど、美味しかった。
30分は走ったでしょうか?景色は変わり突然緑色の紅茶畑が現れました!!

お茶畑の見える方の席と、リクエストしておいたつもりだったけど、私の席は何故か反対側。
思わず席を立ち、デッキ迄。
優しい係りの男の子(名前はヨハン)の許しをもらい、結局 Nonuoya迄デッキに立ち、移りゆく茶畑の絶景を楽しむ。(写真の腕がいまいちですが、実際は感動の連続でした)

茶畑の絶景


茶畑の絶景


電車スタッフヨハンと友達
駅の風景
(ヨハンとスタッフ)  (駅の風景)


Nonuoya着3時半。ここはもう紅茶でおなじみの名前、ヌワラエリヤの街の中心。

ガイドさんが駅迄出迎えてくれ、今宵のグランドホテルへ。

グランドホテル

グランドホテル

スリランカ人、エドワ−ズバ−ン氏の別荘だったとかで、100年以上の歴史を持ち内装はコロニアル調で雰囲気十分。外人客も大勢。
第一夜のホテルとは雲泥の差。
夜は寒い程、しかし暖炉は活用してない為、デンキヒ−タ−が部屋を暖めてくれる。

古いポット

        
(古いポットが陳列)

☆Day 3(1/28日)

本日はゆったりの旅程。
美味しい朝食の後、10時にヌワラエリヤの町から、近い”Pedora tea center”へ。

ここの工場は1880年に建設。
1886年、ジェ-ムスティラ−の茶園から200の茶葉がpedoro estateに植えられたという歴史ある工場。

pedoro estate


pedoro estate

ここの有名な紅茶は”Lovers Leap。
結ばれなかった男女がこの滝の近くから身投げしたという伝説の恋物語より命名。
テラスで頂いたけれど、美味しかったです。
しかし日本で買うヌワラエリヤの紅茶と違い、こくがあり、水色も綺麗な色。
どうして、日本で売られているヌワラエリヤは何処で買っても一定なのでしょうか?
このほか、色々な紅茶工場で頂いたけど、ほとんどのヌワラエリヤのお茶はBOPが多くこくがある。

入場料を払い、工場の中を見学する。

pedoro estate

紅茶の作り方の手順は上記の様。
ここの工場では、

@3000キログラムを中に入れ、12時間かけ、半分になるまでしおれさす。
ARolling(揉捻)350グラムを21分
BRoll breaking(じゅうせつ)
CFermantation(発酵)15分
DDrying(乾燥)10分
Esorting(種類分け)

pedoro estate

FPacking
一日2500キログラム50packageがコロンビアのオ-クションへと運ばれる。

pedoro estate

工場の近くには、コスモスの花が咲いていた。
春のような秋の様な清々しい気候です。
町に戻り、ランチ。再びカレ−です。

マ-ケット

       (マ-ケットの風景)

ランチの後は、町より30キロ、kandapolaにある、今宵のホテルとなる念願の”tea factory hotel”へ。

ホテルへは狭い山道を上がる。
途中、霧が立ち込めはじめ、視界は霧で包まれ助手席の私は運転の無事を祈る。
ホテルは標高約2300メ-トルにある。
無事ホテルに到着。霧の中に佇むホテルはまるで別世界の様。

tea factory hotel


 tea factory hotel

          (恋人に間違われたガイドさんと)

 
tea factory hotel茶摘み体験

     
(サリ−を着て茶摘み体験)

              
tea factory hotel茶畑

             
(山の上の白い点は茶摘みの人です)

tea factory hotel茶畑

 
(霧で包まれた茶畑)


このホテル、以前はウイリアムと言うイギリス人所有の紅茶工場。

eatateの名前は、故郷の街の名前、”Herthersett”と名づけられ、19世紀半ばは毎年50万キロのお茶が50年間生産されたと言う。
しかし、経済的な理由で閉鎖。
1992に新たにホテルとしてデビュする。

用意して頂いた部屋は、周りが茶畑で囲まれた素敵な部屋。
是非泊まりたかったホテルで感激。
夕方6時外はすっかり霧で囲まれ、幽玄な感じ。
一人ではもったいない感じ。

 tea factory hotel

☆Day 4(1/29日)

本日はやや強行スケジュ−ルです。
6:30分朝食、7:30ホテル出発。

ホテルからのおもてなしで、昨日茶摘みをしたので、ホテルの茶園で採れた新鮮なオ−ガニックのお茶(b.o.p&b.o.p.f)の二袋を頂戴する。
さすが高地で採れただけの事はあります。
新鮮な若葉の香りとコクがあり、真さに”高原のお茶”・・・・です。!(^^)!

ホテルを出て、リプトンが最初に開いた茶園のある”HAPUTAJE”にある”Dambatenne(ダンバッテン)tea factory”に向かいます。

町を下に見ながら車は山道を走ります。

リプトンはスコットランド出身で、1890年にスリランカに来、紅茶王であるジェ-ムスティラ−と一緒に仕事をし、ここダンバッテンに自社の紅茶工場を持つ。

ダンバッテンtea factory

             
(工場に続く山道、緑のパノラマ)

ダンバッテンtea factory


(工場の前、霧が出ています)

ダンバッテンtea factory


ダンバッテンtea factory
            
ダンバッテンtea factory

                                   
 (2000キロを80℃で12時間乾燥させます→穴から落としロ-リングへ)

  ダンバッテンtea factory
(袋詰めにされ、コロンボへ)

此のあたりは”UVA(ウバ)”地方になります。実際ウバと言われるお茶はこのHaputale近辺、そして少し東のBadulla近辺で採れます。

1000メ-トル〜1600メ-トルの高地です。
そういえばリプトンのお茶はウバのお茶の香りがしますね。
霧がかかり、高地にある茶畑、・・・・・美味しいお茶が採れる環境十分。
実際に訪れてみて、納得、納得です。

工場見学を終え、車は来た道を急いでヌワラエリヤに向かい、グレゴリ−湖を眺めるレストランで少し遅い昼食。
短い休憩の後は、A5を走り、ヌワラエリヤからキャンディ方面にあるLaboolellie tea centerに向かいます。

マックウッドtea factory


(霧のマックウッドtea factory 茶畑を望む。茶畑には大きな看板)

観光バスで乗りつける、外人さんを含む観光客で一杯。
団体さんのお立ち寄りスポットですね。
再び車はA5をキャンディ−に向かい走る。

車窓より

             
 (車窓より)


暫く行くと、RAMBODAにあるBue fiels tea gardenが見え、雨と霧の中、車を止めて工場見学。

Bue fiels tea garden


お茶を頂き、記念にo.pのお茶を購入。100グラム350ルピア。
後、Glenlochにも立ち寄りました。

Bue fiels tea garden


ここでは、中国人の団体さんと遭遇。
大きな声をだして、たくさんの紅茶を購入している。
中国でも紅茶は人気なのでしょうか?
私も購入。少し高い目の気がしますが。。。これも立ち寄った記念の為。
Glenlochを後にして、車はA5をひたすらKandyに向かいます。

途中、Rothschild Estateで、茶摘みを終わり工場に向かう人達と出会い、お願いして 写真を撮らせてもらった。

Bue fiels tea garden


Bue fiels tea garden


茶摘みはほとんどがタミ-ル人の女性で一日約20〜25キロ摘み、日当は750ルピアくらいだそうで、大変な仕事の割には賃金は低いです。
機械で摘むところもあるとかですが、ほとんどが手摘みで、この人達のおかげで美味しい紅茶が頂けるのです。
車はA5をひたすら走り、夕方にはKandyの町に到着。

ガイドさん、「今日は300キロくらい運転した」と言う、お疲れ様でした。
本日のホテルは☆☆☆。。。位かな〜。

Bue fiels tea garden

小さい事は目をつむりで、高台にあり部屋からの眺めは素晴らしいでした。


☆Day 5(1/30日)

生バンドが入り、夕飯は快適。
席にまで来てくれ、リクエストを聞かれたので、思わず、「何か日本の歌」といったところ、”スキヤキ”を日本語で歌ってくれ、感激。

シャワ−のお湯がぬるく、おまけにエアコンの調節がうまくできなかったのか、夜中は寒く、2種類のダウン、カ−デガン、ホッカロンのお世話になりでなんとか安眠。。。。で朝を迎える。

本日は、8時半出発。
スリランカに初めてお茶を植えた、スコットランド人ジェ−ムスティラ-の茶畑、”LOOLECONDERA”行きです。

車はGaleha方面に走り、Hawahetaを通り、Ltalahを過ぎ、9:30分、Delltotaに到着。

Bue fiels tea garden

本来ならば、ここから歩いて茶畑のある山に上る登るのだけど、運よく”ツクツク”があり、乗せてもらう。
愛想の良い、お兄さんに600ルピアでお願いする。

Bue fiels tea garden

この茶畑の景色も素晴らしいです。
茶畑の景色

             
茶畑の景色


山から沸く水と岩がなす地形、武夷山の岩茶の里と同じ環境。
岩のミネラルと、涼しい気候が良質のお茶を作るのでしょう。納得です。

この茶畑、現在は政府の管理で、お茶摘みの女性がいないので、聞いたところ、日当代の事で政府と折り合いがつかず、本日より3日間ストライキとの事。
ツクツクはほとんど山の上まで上がり、ジェ-ムスティラ-が眺めた景色のスポット、”ジェ−ムスseat”に行きます。

彼は、この石の椅子に座り、遠くの景色を眺めお茶の事を考えたのでしょうか?

ジェ−ムスseatからの眺め

(ジェ−ムスseatからの眺め)

ジェ−ムスseatからの眺め

ジェ−ムスseatからの眺め

        (ジェ−ムスは此処で何を書いたのでしょうか?)

        お茶&花

        
(お茶&花)

茶畑の景色

             
   
(150年前、ジェ−ムスが最初に植えた茶の木の前で)


そして、いよいよジェ−ムスが暮らした住居跡に行きます。

ジェ−ムス住居跡へのアプロ−チ

(ジェ−ムス住居跡へのアプロ−チ)

釜の跡
              
 (釜の跡)

井戸

       (ここは井戸との事)

わずか17歳の少年が東インド会社の社命により、試行錯誤、北インドの農園主、Mr,nobleや、アッサム農園主達の援助もあり、枯れていたコ−ヒ−園にインドのアッサム種を植え成功。
結婚もせず57歳の時、赤痢にかかり死亡。
生涯を紅茶一筋にささげた人物です。

その棺は、24人の労働者により、一日ががりでKandyの町にある墓迄運ばれたそうです。
彼の偉業のおかげで、イギリス人をはじめ、多くの人がスリランカのお茶、セイロンteaを愛してやまないのでしょう。

車は通った道をスピ−ドを出して戻る。

カ−ブも多く、反対側からくる車もスピ-ドを出し、おまけにクラクションは鳴らさずで・・・・ニアミス!
助手席の私、思わず足を踏ん張る。
無事Kandyの町に戻り、ジェ-ムスティラ−の墓地に行く。
お墓は丘にある。暫し黙とう。

ジェ-ムスティラ−の墓地

後、ガイドさんの薦めもあり、”ア−ユルビェ-ダ”のマッサ−ジを受ける。 気持ちはよいけれど・・・・・マッサ-ジを受ける体制には少々抵抗ありかな?


☆Day 6(1/31日)

本日でいよいよスリランカとお別れ。
旅の終わりはちよっぴり寂しいです。

オセイジかもしれないけど、スキンシップの大好きなガイドさんも「さみしいです」・・・と言ってくれる。
8;00にホテルをチェックアウト。
飛行機は23:59分。時間は一杯ある。
最終日は”紅茶博物館”へ。

紅茶博物館

紅茶博物館

2001年、数年間廃墟として放置されていた紅茶工場が、スリランカ紅茶局や、農園主の組合により博物館となる。館内には、昔の紅茶を作った道具、ジェ-ムスティラ−の遺品,etc。
ジェ−ムスティラ−が使った鍋
  
(ジェ−ムスティラ−が使った鍋)


   (最初に作られたお茶)

その他、マッチ、ボトル、本も展示してあったなぁ〜。
ゆっくりしたかったのだけど、なぜかガイドさん、速足。
私もはみ出しリクエストした事だし。。。。まぁ、いっか。
そんな訳で、早い目に町に戻る。

kandy町

ス−パ−には色々なお茶が売られています。

kandy町ス−パ−

ガイドさんおすすめのレストランで、カレ−のランチです。
インドの料理は本来少々苦手。でもその土地に来ると食べられるものですね。
美味しく頂きました。

カレ−

途中、最後のtea factoryに立ち寄る。

tea factor

空港着6時過ぎ。
フライトはUL454,23:59分。時間は有り余る程ある。

夕食をとったり、ショッピングしたりで何とか時間を潰す。
何ということでしょう・・・・フライトは予定時間を2時間近く遅れ、深夜2時にtake off.

行きと同じく空いている事を期待したけど・・・満席。
隣のスリランカ人のお兄さんの肘が、時々睡魔を妨げたけど、何とか寝られ、飛行機は2時間遅れで無事成田に到着。

帰りの便は、成田→羽田→伊丹のコ−ス。
遅れた為、すべて予定が狂い、それでも何とか無事伊丹→自宅に到着。

今回の旅は紅茶に関して、新たな発見がいっぱい。

スリランカの国を知ることが出来たし、ガイドのDiasさんもそれなりに頑張ってくれたし、総合点では90点。
この旅を機に、紅茶にもっと関わり生活したいと思う。

H/Pに訪問のみなさん、長〜い 旅日記にお付き合いして頂き、ありがとうございます!
紅茶にもっと興味のある方、紅茶教室にも是非遊びに来てくださいね。

なお、スリランカ紅茶研修旅行をご希望の方、私がお世話になったガイドさん紹介します。
日本語が出来る明るいガイドさんです。

ご連絡は:こちら mailto:tea-time@ii.e-mansion.com 迄お願いします。

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